I-Method

渋柿庵日乗 七二


躓きの石(上)

2011年6月17日
 躓きの石とは、避けては通れない困難を意味する聖書の言葉だ。イエス・キリス
トは自分の受難が弟子たちにとっても躓きの石になるだろうと予言したという。そ
れは弟子たちに自分の受難を超えて進みなさいと諭したのだとも取れる。
 躓きの石という言葉は物理的な困難だけではなく、先入見、知ったかぶりや思い
上がり、感情的なわだかまりのような目に見えない障碍にも用いられる。
 東日本大震災からの復興の過程では、それこそ数限りない躓きの石を乗り越えて
いかなければならない。

 震災から3ヶ月が経過し、東北地方の被災地は復興のスピード感のなさにいらだ
ちを強めている。
 筆者は6月6〜8日に東北地方の2度目の現地調査を実施し、環境新聞の黒岩氏
とともに、岩手県庁、宮城県庁、仙台市、石巻市、大船渡市の災害廃棄物担当者へ
のインタビューも実施した(内容は環境新聞紙面で)。千葉県庁では業務として復
興事業に携わっているが、千葉県でもまだ復旧の段階から復興の段階へ移行したと
は言えない状況である。
 テレビや新聞などのメディアでは連日のように復興の遅れが指摘され、その原因
についてさまざまな分野の識者がコメントしており、それぞれに正鵠を得ている。
 今さらもう新味のない話題で聞き飽きたと思うかもしれないが、私は私なりの知
識と経験に基づき、自治体の実務の面から復旧と復興の遅れの原因について整理し
てみたい。



 復旧は破壊された公共施設やインフラ施設、工場などを原状回復することであ
る。町並みや産業基盤の復旧は、壊滅的な被害を受けた地域では、復旧ではなく復
興という言葉で括られることになる。
 ちょっと面倒だが復旧に関係する法律を列挙すると、まず国交省関係では「公共
土木施設災害復旧事業費国庫負担法」(国庫負担法)が基本法となる。
 農水省関係の場合は「農林水産業施設災害復旧事業費国庫補助の暫定措置に関す
る法律」(暫定法)が基本法である。
 民間施設も対象となる復旧は「激甚災害に対処するための特別の財政援助等に関
する法律」(激甚災害法)が基本法である。
 これらの法律による補助事業にはすべて「補助金等に係る予算の執行の適正化に
関する法律」(適正化法)が適用される。
 これらは基本法中の基本法であり、無数のさまざまな災害法や国庫負担法があ
り、さらに今回の震災のための無数の特別立法が準備されている。災害法や国庫負
担法が復興を支援するのに対して、都市計画法、建築基準法、農地法、環境アセス
メント法などは復興事業を規制することになるので、規制を実情に応じてコントロ
ール(強化したり緩和したり)することが必要になる。

 国庫補助事業の実際の手続きは各省庁が所管する各事業ごとの補助金交付要綱に
定められている。災害廃棄物の処理については環境省の「災害等廃棄物処理事業費
国庫補助金交付要綱」によって実施される。今回の大震災ではさまざまな特例が設
けられ、補助率の上乗せが行われている。たとえば災害廃棄物の処理については、
国庫負担率を100%(交付要綱の範囲内で)にすることや、中小企業の災害廃棄
物(通常は産業廃棄物)まで補助の対象にするなどの措置が実施されている。
 復旧を国庫補助事業で行うことは、財政力の乏しい自治体にとって必須のことで
あり、国庫補助がなければ自治体は何もできないといっていい。しかし、これは主
要税を国税が独占していて、地方税が脆弱であることの裏返しにすぎない。所得税
と法人税を地方税にすれば、国と地方の財源構造は逆転する。アメリカでもEU諸
国でも中国でも、主要税は地方税(州税や省税)になっている。
 日本の行政システムでは、主要税収を独占する国はお金を出すだけで、事業の実
施主体は自治体になる。今回の震災では、中心市街地が全滅し、庁舎を失い、職員
が被災した自治体も多く、復旧事業の調査や設計を担当する技術系職員が不足し、
事業の着手が遅れている。国や全国の自治体から人的支援はあるが、きめ細かな復
旧事業の設計は、熟練した職員や地元に精通した職員でなければできない。



 国庫補助事業には複雑な手続きがある。概略を述べると、1.災害報告を行い、
2.設計図書を作成し、3.主務省庁と財務省への要望と事前協議を経て、4.国
庫負担の申請を行い、5.主務省庁と財務省による災害査定(現地調査)を受け、
6.事業費の決定があり、7.入札で施工業者を決定し、8.工事発注となる。そ
の後も、9.補助金の交付申請と交付決定、10.中間検査、11.工事費の精
算、12.成功認定などの手続きがある。
 もっとも面倒なのは国(主務省庁と財務省)の職員が実際に現地入りする災害査
定で、災害発生からそこまで通常なら2〜3ヶ月だが、今回の震災では被災地域が
広域であること、すべての省庁にかかわる施設が被災したこと、国も職員不足であ
ることからかなり遅れており、とくに東北地方ではほとんど未着手である。
 問題は国の査定を受けて事業費の決定があるまで、自治体は本格的な着工ができ
ないことで、それまでは応急工事のみとなる。
 国直轄の国道や河川堤防の復旧は早かったのに、震災から3ヶ月を経過してなお
県管理や市町村管理の施設の本格復旧ができないのは、自治体が災害査定の順番待
ちをしているからである。
 主務省庁に窓口が一本化されておらず、財務省との協議や立会いがいちいち必須
になることも面倒で、主務省庁は自治体の事情を理解して事業を急ぎたくても、財
務省がOKしないと着工のゴーサインが出せない。この官庁の中の官庁といわれる
財務省の存在も復興の遅れの原因になる。財務省は事業の翌年への繰越など補助事
業のすべての局面に関与し、主務省庁よりも口うるさい。
 さらには応急復旧や仮復旧はともかく、本格復旧にあたっては、現状復旧(従前
と同じ構造)なのか、改良復旧(従前より充実した構造)なのか決めなければなら
ない。とくに津波に耐えられなかった堤防は、改良復旧が必須とされているが、ど
の程度まで強化するのか基準が固まらないため、堤防の設計に着手できない。堤防
の天端高(水面からの高さ)が決まらないと、後背地の道路や鉄道の建設、都市計
画も遅れることになる。
 理想を言えば、国が主要税収を独占し、財務省が省庁と都道府県庁を介して全国
津々浦々の自治体にお金を配る明治時代以来のシステムを廃止し、それぞれの自治
体の財源を独立させた方が復興のスピードは速くなる。仙台市の復興のスピードが
他の市町村よりやや速そうなのは、宮城県庁を中抜きして国庫財源を使えるからで
ある。
 環境省は災害廃棄物処理事業について、現地立会いをしない机上査定(書類審
査)でも事業費の決定をすると大胆な方針を打ち出した。すでに市町村がガレキ撤
去に着手してしまっており、事後承認せざるをえない状況であることや、環境省の
査定人員の不足という実情が背景にあるメクラ判だと言えなくもないが、迅速な復
旧のための適切な措置である。しかし、他の省庁にはこんな手抜きは通用しないよ
うで、台風シーズンを控え、被災地が浸水し、壊れかけた堤防が決壊するかもしれ
ないというのに、災害査定で主務省庁と財務省のOKが出なければ何もできないで
いる。
 しかし、税制の構造を変えなくても、自治体が財務省や主務省庁の顔色を伺わず
に国庫財源を自由に使えるようにする妙手がある。民主党の政権奪取時のマニフェ
ストには補助金を廃止して一括交付金に切り替えると書かれていた。こんなことを
したら中央省庁の仕事の3分の2が必要なくなってしまうから、実現するはずもな
かったが、ほんとうに復興をスピードアップしたいなら、国民を熱狂させ民主党を
圧勝に導いたあのマニフェストを思い出して、災害復興一括交付金を導入すればい
い。これは民主党の公約なのだから、政権が不退転の決意でやると決めればできる
ことだった。しかし、多額の補正予算を手にしてしまった財務省や各省庁に、その
権限を今さら放棄しろというのはもう無理な話である。政治家や評論家が何を言お
うと、復興庁がどんな組織になろうと、霞ヶ関なかんずく財務省の権限をさらに強
化する方向でしか国の災害復興システムは作動しないのである。



 公共施設やインフラの復旧でも、ガレキの撤去でも、民間施設の復旧でも、中心
的な役割を果たすのは建設業者である。建設業者は年商数百万円の地場の工務店か
ら数兆円のスーパーゼネコンまで大小さまざまであるが、市町村発注の工事は地場
の中小の工務店、都道府県発注の工事は地方ゼネコン、国発注の工事は中堅や大手
のゼネコンといったおおまかな住み分けがある。
 災害復旧事業の中心となるのは市町村なので、復旧工事の大半を地場の中小の工
務店が受注しており、ゼネコンが受注した大規模な復旧事業は直轄国道などを除い
てほとんど見られない。地元の中小企業を優先して発注することは、地元の経済振
興にとって重要なことであるが、経営規模の小さい工務店が多数入り乱れた状態に
なると復旧のスピード感は落ちる。しかし復旧が遅れても市町村は地元企業に発注
したい。被災地域の建設業者にとってはガレキの撤去だけで1年、その後の復旧で
5年は仕事がある特需状態になっており、その虎の子をゼネコンには渡せない。し
かし、地場の中小企業では作業員も少なく、使用できる機材も貧弱で、全国から人
材や機材を集められない。ポイントの復旧はできても都市全体の復興を担うノウハ
ウはない。
 スピード復旧を目指すなら、中小企業にポイントごとの復旧をばらばらに発注す
るより、ゼネコンに面的復旧を一括発注し、地場の工務店を下請けとして使う方が
はるかに効率がいい。面的復旧なら、その後の復興も連続的・計画的に行うことが
できるし、浸水地域の住宅の集団移転で空いたスペースへの企業や施設の誘致も行
いやすい。
 中心市街地が全滅した陸前高田市や南三陸町のような地域では、県や市町村の職
員が乏しい知恵を絞って都市計画のポンチ絵を描いては破って無駄な時間を費や
し、結局は都市計画コンサルタント業者に発注することになるより、スーパーゼネ
コンに最初から一括発注し、都市のグランドデザインから復旧、復興まで一貫施工
すれば早いのではないかと思う。被災地域ごとに別のゼネコンに発注して、構想力
を競わせることもできるし、ゼネコンも会社の持てる技術力の粋を結集して出血サ
ービスするだろう。
 ところが数々の不祥事と公共事業費削減で発言権も体力も低下しているゼネコン
は、巨額の受注機会を前にして目立った動きができないでいる。ゼネコンをバッシ
ングしてきたメディアも、今さらゼネコンを復興の担い手として持ち上げる報道は
やりにくいようで、地元の中小企業の奮闘に注目した特集ばかり組んでいる。中小
企業が奮闘して悪いことはないが、部分最適化が全体最適化になるとは限らない。
 都市開発のノウハウを蓄積してきたゼネコンに、堤防工事や国道工事を受注させ
るだけではもったいない。全滅した都市のスピード復興に成功すれば、日本のゼネ
コンの実力を世界に示すことになり、海外での受注も増え、日本経済の底上げにも
つながる。
 国力のすべてをかけて復興に取り組むと政府は言っているが、現地はとてもそん
な状況ではなく、国は予算と通達を乱発するだけ、県庁は一見見栄えはするがよく
見ると手前味噌の中途半端な構想を打ち出すだけで実効は何も上がっていない。今
のところは地元の市町村と地元の中小企業のがんばりだけが目立っている。それを
いくら美談と称えたところで復興の成功に結びつくかどうかはわからない。そこに
はシステムの根本的な欠陥という大きな躓きの石があるのだ。

4月中にガレキの撤去が終わった仙台空港周辺(名取市・岩沼市)。基礎まで舐めるように撤去されている。空港の早期復旧は米軍の支援で行った。 6月6日の大船渡市のガレキ撤去現場。地場の工務店による撤去作業は1年がかり。作業を急ぐため基礎は撤去されない。

渋柿庵主人
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