I-Method

渋柿庵日乗 七七


二十一世紀少年は現れるのか?

2011年7月26日
 金曜日(22日)は、環境経営・ビジネストレンド研究会の例会に参加し、京都
大学の上田和弘教授の講演を聞いた。研究会には毎月出ているが、このコラムで記
事にするのは久々かもしれない。上田氏は環境の世界では知らない人がいない高名
な教授だ。国の審議会委員を歴任し、今回の震災でも、復興構想会議の専門委員を
やられている。それでも京都の学者らしく、国におもねるところがなく、ありがち
な御用学者では全然ない。
 上田氏は東北地方の復興について、国に提言したことがどれほど生かされるのか
わからないと正直に述べられていた。会議の資料すら満足にそろえられなかった復
興構想会議事務局に対しては、無政府状態という言葉も使われていた。



 実は、この国は震災の前からもうとっくに無政府状態になっていて、うわべの秩
序をとりつくろっていただけなんじゃないかとすら思う。
 国は地域の実情について、直接的な情報(一次情報)をほとんど持っていない、
都道府県からの報告を集計した二次情報を持っているだけなのだ。都道府県の報告
も市町村の情報を集計した二次情報だから、国の情報は三次情報ということにな
る。
 国、都道府県、市町村の行政の三層構造は、主として自治体の自立の問題として
取り上げられる。この場合、自立を妨げているのは地方の財源である。
 しかし、情報の観点からは自立していないのはむしろ国である。情報を持たない
国には、非常事態を前にして危機管理ができないということを、今回の震災は露呈
させてしまった。自治体からの情報を絶たれた国は、被害状況を把握するのに、航
空写真を使っておおざっぱな推計をするしかなかった。
 財源は持っていても情報を持たないために実効性のある施策を打ち出せないでい
る国、情報は持っていても財源を持たないために国の施策が動き出すのを待ってい
るしかない自治体、この逆向きの二つの無能が折り重なって無政府状態を生み出し
た。県はどっちみち中途半端で蚊帳の外である。
 この空白はメディアが批判しているような政治家の無能のせいではない。財源と
情報の逆転した二重構造というシステムの構造的な欠陥のせいである。だからどん
なカリスマ政治家がいたとしたって、どうすることもできなかっただろう。

 情報と財源の逆転構造はなお続いている。
 国土交通省は被災地の復興プランを策定するために72億円という予算をつけ
た。だが、策定するのは被災地を5類型に分けたモデルプランである。そのプラン
を実行するには、もう一度被災市町村ごとに噛み砕いたプランを作り直さなければ
ならない。二度手間である。72億円も使うのだったら、5類型ではなく最初から
被災市町村ごとに50のプランを作ってあげればいいのにと思う。そうすれば情報
と財源のギャップはなくなるのだが、国土交通省も市町村もけっしてそうしようと
はしないし、してほしいとも言わない。国は自治体に自治体は国に責任転嫁できる
二重構造のほうが居心地がいいのである。



 情報を持たなかったのは国だけではない。マスメディアもなんの情報も持ってい
なかった。いくつかのテレビ局は福島第一原発を望遠レンズで撮影し続け、その映
像をリアルタイムに流し続けた。カメラの脇に放射線量計はあっただろうか。スタ
ッフの安全のため、きっとあっただろうが、その値は報道されなかった。
 おそらくカメラの脇の線量計は、日本全土をパニックに陥れ、メイドインジャパ
ンのすべての商品の流通をストップさせるに十分な値を示していただろうが、カメ
ラマンの後ろに控えたディレクターはその深刻さを理解していなかった。各メディ
アは官房長官が発表する控えめな数値と、小学生でも無意味とわかる原子力安全保
安院のコメントしか報道できなかった。

 3月15日、東京都心の空間放射線量は1時間2マイクロシーベルトに達してい
たようだ。労働安全衛生法が定める放射線管理区域の上限放射線量は3ヶ月で1.
3ミリシーベルト(1時間0.6マイクロシーベルト)、病院の場合は1週間で3
00マイクロシーベルト(1時間1.78マイクロシーベルト)である。
 1時間2マイクロシーベルトはこれを超えているので、放射線警報機があればア
ラームが鳴る。つまり3月15日、都内全域で病院のレントゲン室の管理基準を超
えた放射線が到来し、アラームが終日鳴り続けていたのだ。これが報道されていた
なら、都知事は都内に滞在する人々に屋内退避命令を出さなければならなかった。
震災の日には都心の道路という道路が避難者であふれたが、屋内退避命令が出た都
心の街路からは人影が消え、ゴーストタウンと化しただろう。これはありえたシナ
リオだった。だが3月15日、そんなSFみたいな報道はなく、今に至って検証報
道すらない。20世紀少年は現れなかった。

 この時期、すでに都内の大使館・領事館は閉鎖され、外交官は大阪に疎開してい
た。アメリカ政府は米国民の国外退避を勧告し、空港までのバスをチャーターし
た。
 日本の各メディアは「東京は心配ない」、「外国人は過剰反応だ」と報じてい
た。都心の各所で放射線量が管理基準を超え、アラームが鳴っていたのに。実は都
内の病院や大学も、こっそりと職員の大阪避難を指示していたようだ。だってアラ
ームが鳴ったら逃げるのがマニュアルなのである。



 3月15日に都心の放射線量が高くなった原因について、文部科学省系のホーム
ページは、福島第一原発3号炉の水素爆発ではなく、2号炉のドライベントによる
ものだったと冷静な分析を公表していた。
 同ホームページによると、2号炉のベントによって放出された放射線量は、広島
型原発600発分に相当する。この計算値は翌日には公表されていたのに、注目し
たメディアはなかった。水素爆発はいつか起こると予測はできてもいつ起こると予
期はできない事故だったが、ベントは計画的なイベントであり、放出される放射線
量もあらかじめ計算可能だった。ほんとうはベントの前に原発から100キロ圏内
の住民には避難勧告を出すべきだったし、東京を含む300キロ圏内の住民には屋
内退避を命じてもよかった。現に首都圏全域に屋外退避を命じるべきレベルの放射
能が到達したのだ。
 さらには炉心を冷却した海水の多くが海洋に流出した。海洋に放出された放射能
は広島型原発3万発分になる。海洋生物の汚染は牛肉の比ではなく、これから徐々
に明らかになっていくに違いない。
 原発が津波に襲われることは防げなかったとしても、その後の放射能汚染の拡大
は、政府とメディアが一体になった無政府状態が作り出したものである。

 だが結果オーライだ。とにかく格納容器は爆発を免れ、核燃料が直接飛び散る最
悪の事態は避けられた。ヨウ素131の放射線は3ヶ月で2000分の1に減少
し、現在はほぼゼロだ。セシウム137とは長い付き合いになるが、地上の汚染に
関しては管理できないレベルではない。海洋汚染がどれほどのものになるかは予測
が難しいが、太平洋の魚介類を食べなければ済む話だ。
 黒潮は中緯度乾燥地帯にあるはずの日本に大量の雨をもたらしてくれる恵みの海
流だが、今は放射能に汚染されていない海水を運んでくれる恵みだ。放射能に汚染
された海水は太平洋の表層を北東へとただよいながら、一部はカリフォルニア沖へ
と向かい、一部はベーリング海峡で冷やされて深海底へと落ちていくだろう。



 中国では高速鉄道の脱線転落事故が起こり、汚職と手抜き工事が原因ではないか
という憶測が微博(WEIBO、中国版ツィッター)に飛び交っている。日本でも
他人事ではなく、震災で壊れた東北地方のダムに特定の政治家の関与がとりざたさ
れており、手抜き工事疑惑が持ち上がっている。
 中国産食品の化学物質汚染は深刻度を増しており、消費者物価の高騰も止まらな
い。中国人が作った新しい物は「乗るな、使うな、食べるな」が中国人の常識とな
りつつあるという。放射能汚染を理由にした日本からの輸出産品のシップバック
(通関拒否)も続いているが、中国人に言わせれば「放射能に汚染された日本の食
品でも中国産よりまし」。
 中国人に一番人気の日本の観光土産は、今や森永や明治の「粉ミルク」だそう
だ。子供には安全なミルクを与えたい、せめてもの親心はどこの国でも同じだ。震
災以後、輸入停止を予測して香港のスーパーで日本メーカーの粉ミルクの買占めが
起こったそうだ。

 中国と日本は違う意味で無政府状態から抜け出せなくなっている。中国国家主席
は、国内問題にかかりっきりとなり、国際舞台での露出度が激減している。内政の
混乱にうんざりした中国人は、日本の首相の短命と無能を笑っていられないとすっ
かり自信をなくしている。
 アジアの盟主である日本と中国の停滞は、これから飛躍しようというアジア諸国
にとっても打撃だ。21世紀をアジアの世紀にするには、両国の無政府状態をなん
とかしないといけないが、模範にすべきモデルは他国にはない。それぞれに自国の
歴史と先哲に学びなおし、そこから回帰すべきモデルを自力で構築するよりないだ
ろう。「一番しあわせだった時代、一番居心地がよかった家を思い出せ」それが自信
をなくした人に一歩踏み出してもらうためのカウンセリングの常套句だ。
 二十一世紀少年は現れるのか?
渋柿庵主人
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