I-Method

渋柿庵日乗 七四


躓きの石(下)

2011年6月26日
 国は被災地の復興ビジョン策定のため東日本大震災復興構想会議を設置した。し
かし委員はわずか15名であり、その大半は国内の大学教授で、外国人の学者は一
人もおらず、民間企業からの委員はソニーだけ、東北3県の知事のパフォーマンス
ばかりが目立った。
 他の審議会と同様に委員は専従ではなく、会議の開催日に何時間か集まるだけ
で、日当こそ高いが、研究費が出るわけではない。本気でやるなら小泉政権の時に
入閣した竹中教授のように、本業を休職して専従(毎日出勤)でやらなければだめ
だ。
 こうした腰掛スタイルで有識者を招集する国や県の審議会・委員会では、会議の
資料はすべて担当の官僚か、もしくは事務局を丸投げされた総研が準備する。委員
は配布された資料に質問し、次回の会議までに事務局が宿題の回答を準備する。
 会議も4、5回目になると、事務局が作成した答申(案)が突然出てくる。たい
ていの場合、これは委員もびっくりするほどよくできている。さらに4、5回、答
申(案)に対して意見を交換して、すべての会議が終わる。



 6月25日に復興構想会議の答申「復興への提言 悲惨のなかの希望」が出され
た。各メディアの反応は、褒めるところもないが、貶すところもないという煮え切
らないものだった。それもそのはずで、国土交通省がすでに規定路線として動き出
している「減災論もしくは多重防災論」と「5類型論」が骨子となっていて新味が
なく、これに宮城県知事の漁業民間参入など、3県知事の意向を取り入れただけの
内容である。財源論をかわすために大風呂敷を広げさせないという財務省の意向も
あったようで、必要最小限度の実務的な答申だった。財源として増税がきっちり織
り込まれたので、財務省は大満足だろう。
 環境都市構想とか、脱原発都市構想とか、リゾート都市構想とか、東北州構想と
かいった、未来志向のプロジェクトが盛り込まるのかと期待していたなら、復旧の
延長線上でしかない官僚的な夢のない構想にがっかりしたことだろう。福島県知事
だけが、医療産業都市構想という夢のあるプランを出していた。
 なんとか東北地方の海岸を安全にして、人口と人材の流出、資本と企業の移転を
食い止めたいという気持ちは伝わってくるし、「防災」はむりだからせめて「減
災」でがんばりますというのも正直だと思う。だが、こんな構想では復興した東北
地方に県外から移住しようと思う人はまずいないだろう。
 政治主導で立ち上げた会議だったはずなのに、世界から人と資本を集められるよ
うな魅力的な東北を作り上げようという夢のある話は語られず、官僚主導の規定路
線にお墨付きを与えるだけの復興アリバイ会議に堕ちてしまった。これなら各省庁
にまかせておいても同じだったのではないかと思う。



 ところで宮城県は国と似た名前の震災復興会議を設置している。岩手県には津波
復興委員会、福島県には復興ビジョン検討委員会があり、それぞれバラバラにに復
興計画の策定を行っている。国の復興計画が出たので、今度は3県の復興計画が出
る順番になる。岩手県知事は国の答申を「コンパクトでよい」と褒めたが、これは
具体的なことは県が決めるからという反語のように聞こえた。
 しかし被災地域では誰も独自の財源を持たない県の復興計画に期待していない。
国の復興計画に屋上屋を重ねず、一日も早く事業を始めてくれと思っているのだ。
 被災地域では復興の遅れにしびれを切らせた市民や企業が独自の動きを示してい
る。市町村の中にも国や県の動きを待たずに復興事業を断行するとこともある。し
かし、人口1万人の町なら失敗を恐れず大胆なこともできるが、人口10万人くら
いの市になると、一か八かの博打は打てず、国や県の動きを待つことになる。



 国土交通省は国の復興構想会議の答申が出るずっと前から、被災地の状況に応じ
て復興パターンを5類型に分け、類型ごとの復興の手法について調査研究するため
に71億円かけると発表していた。調査を委託する前からすでに類型は5つだと決
まっているのがなんとなく怪しいが、71億円もの予算をどこに使うのかも怪し
い。これだけの予算があれば被災地の津々浦々まで調べられるだろうから、5類型
ではなく、被災地域ごとに50類型でも100類型でいいじゃないかと思う。被災
地域でそのまま使える復興計画を国土交通省が作ってくれるなら、市町村はずいぶ
ん助かるのではないか。
 しかし、5類型と50累計では、同じ71億円使うにしても、国土交通省の事務
量が十倍違ってくる。国交省は職員の手を煩わせず、国内の主要なコンサルに数億
円ずつ調査委託料を丸投げにして終わりたいのである。受注した各コンサルは被災
地を足で踏査して地元の名もなき漁民とかに話を聞いて回るのではなく、専門家と
呼ばれる人のヒヤリングに日当何十万円も払うのだろう。海外の先進事例の現地調
査も必要だ。そんなときは担当の官僚も同行で飛行機はファーストクラス、ホテル
は7つ星かもしれない。そうでもしないと、とても71億円は使いきれない。それ
にしてもすでに5類型が決まってしまったあとで、そのアリバイづくりに71億円
は高すぎないだろうか。
 国交省だけではなく、農水省も経産省もこぞって復興プランの策定に動いてお
り、そのための予算総額がどれほどになるのかわからない。
 さらには国や県ばかりか、結局は市町村もそれぞれコンサルに委託して復興構想
や都市計画を策定するのである。しかも市町村は事業の実施主体であるので、各事
業の設計書も組まなくてはならない。それが補助金申請書の設計図書となって、県
を経由して各省庁に上がっていく。県でも国でも、その設計図書が復興構想に沿っ
たものかどうかなんて審査しない。補助金交付要綱に沿っていればいいのである。
 こうして人気のコンサルともなれば、国、各県、各市町村から似たような委託事
業を受注し、同じ資料を使いまわして濡れ手に粟となる。そんなにお金をかけた復
興構想だが、答申や報告書を作ること自体が目的であり、実際に復興することは目
的ではないのである。



 国の答申には市町村が自由に使える交付金や基金の創設という言葉も入った。こ
れは民主党の政権奪取時のマニフェストに盛られていた一括交付金を連想させる提
言だ。
 一括交付金は、もしも実現していたら民主党の政策の中でもっとも革命的なもの
になるはずだったが、自治体の財源論は国民にはわかりにくく、票に結びつかない
と考えられたのか、棚上げにされてしまった。
 各省庁の仕事の3分の2は、自治体への補助金交付が占めている。国の直轄事業
というのはほとんどないのである。つまり補助金を廃止して一括交付金にしたら、
国の予算と職員の3分の2が不要になってしまう。一方、自治体も補助金申請の事
務が要らなくなるから、職員を大幅に減らせる。
 つまり、一括交付金を導入すれば、公務員は半分以下に削減できるのであるが、
それほどの革命的な政策であると民主党は国民にアピールできなかった。今や民主
党内では公務員数削減はタブー視すらされている。
 総務省以外のすべての省庁は一括交付金に反対したが、とくに財務省の危機感は
大きかった。一括交付金が導入されたら、それを配分する総務省が財務省を超える
官庁の中の官庁として君臨し、まさに内務省の復活となるからである。
 しかし、今回の答申で想定された市町村が自由に使える交付金とは、岩手県知事
が求めた「復興一括交付金」のことである。つまり復興財源限定、補正予算限定で
ある。これなら財政の基本構造の変革には結びつかないということで財務省もOK
したのである。



 復興にあたって最も重要なのは都市計画である。見てくれだけ整えた日本の都市
計画法は、世界にまれにみる骨抜き法である。世界の都市計画の常識は「計画なけ
れば開発なし」だが、日本の常識は「計画なければなんでもあり、計画あってもな
んでもあり」である。準工(準工業専用地域)のような工場でも住宅でもパチンコ
店でも何でもありのゾーニングが、日本では理想とされている。そのため準工だら
けの都市計画をよく見かける。
 都市計画がでたらめなので、戦後、都市計画に成功した街並みを見掛けない。法
律がだめなため、都市計画学やリゾート学の実力も、先進国のみならずシンガポー
ルやアラブ首長国連邦のような途上国にすら及ばない。東北地方にどのような街並
みが望ましいのか、千年後の人が驚くような都市計画として仕上げてくれる専門家
は日本にはいない。いるのは欧米の先進事例を紹介して知ったかぶりをしている似
非学者ばかりである。戦前には名だたる都市計画学者を排出し、成熟した街並みを
各地に完成し、旧満州国(吉林省や遼寧省)にも優れた都市計画の足跡を残してい
る日本だったのに、戦災地復興でバラック&スプロールを許してしまって以来の凋
落はさびしいかぎりだ。東北地方だって今のところは各県が建築規制でバラック&
スプロールを押さえ込んでいるが、いつ堰が切れるかわからない。



 原発事故では国内の学者の想像を絶する無知ぶりに気付かずにひどい状態となっ
てしまったが、復興においては、国際的なスケールでの成功体験を持った都市計画
やリゾート開発の専門家を世界中から招き、東北の風土に根差した未来都市の在り
方を世界に発信してほしいと思うが、現実を見ると国内学者と国内コンサルだけで
やろうとしている。これでは原発事故と同じ轍を踏むことになる。
 防災の観点からの都市計画の議論ばかりが目立つが、防災に何兆円もかけて景観
を破壊し、要塞のような都市にしても誰もそこに移住したいとは思わない。
 三陸海岸の魅力を引き出すには、その美しい海岸線と調和する都市をいかに生み
出すかにかかっているのであって、津波に強ければいいというわけではない。今ま
での都市が必ずしも海岸線と調和しているとは言いがたかったのだから、この悲惨
な津波は、三陸海岸を生まれ変わらせる千載一遇のチャンスなのに、住宅地の高台
移転と堤防の高さの議論ばかりしている。
 国交省が復興を担う省庁として奮闘している姿は頼もしいと思わないでもない
が、これまで国交省が作ってきたコンクリートのモニュメントを見れば、国交省と
国交省の御用聞きをしているコンサルが作るプランで東北地方の復興が成功すると
は思われない。世界の投資家も東北地方の自然資産には投資しても、コンクリート
の巨大な堤防や擁壁に囲われた都市には投資しないだろう。
 民主党が政権を奪取した時の美しいマニフェストの中でも、ひときわ美しかった
のが「脱コンクリート」だった。津波から町を守れずに無残に破壊された堤防を目
の当たりにして、今その言葉もまたマニフェストの中の他の美しい言葉たちととも
に忘却されてしまったようだ。堤防を丸太で組めとまでは言わないが、東北地方の
復興は、美しい景観を汚さないように脱コンクリートで行ってほしい。コンクリー
トを使わず、山を切らず、海を埋めないで、世界から投資が集まり世界の財産にな
るような美しく安全な東北地方を再創出できないものなのか、もっと時間をかけて
世界中の英知を集めてほしい。
渋柿庵主人
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