I-Method

渋柿庵日乗 五六


いでよ、お年玉起業家!

2010年11月20日
 このコラムでは初めての書評となる。取り上げたいのはビジョナリーカンパニー
3部作だ。

 「ビジョナリーカンパニー 時代を超える生存の法則」 ジェームズ・C・コリン
ズ/ジェリー・I・ポラス 1995年5月
 「ビジョナリーカンパニー2 飛躍の法則」 ジェームズ・C・コリンズ 2001年
12月
 「ビジョナリーカンパニー3 衰退の5段階」 ジェームズ・C・コリンズ 2010
年7月

 いずれも山岡洋一訳で日経BP社から出版されている。10年ぶりに第3部が出版
され、シリーズ最高傑作と高い評価を得たことで、第1部、第2部も売れている。
原著はそれぞれ1994年、2001年、2009年に出版されている。原著は3部作として企
画されたものではなく、タイトルもそれぞれだが、日経BP社はあえてビジョナリ
ーカンパニー3部作としている。第1部を完成するのに6年かかったというから、
第3部の完成までには20年かかっていることになる。まだ1冊も読んでいないな
ら、3冊をいっきに通読するのがお勧めだ。

 ビジョナリーカンパニーとは理念のある会社という意味である。
 大企業と中小企業とにかかわらず、どんな会社にだって理念はある。産廃業者に
だってもちろんある。これまでたくさんの産廃業者を訪問したが、どの会社の社長
室にも経営理念がきれいに印刷されて額縁に飾られていた。しかしながら、社長一
人が立派な理念にご満悦になっているだけで、社員がだれもそんな理念なんか気に
もかけていないのなら、もちろんそれはビジョナリーカンパニーではない。
 コリンズ氏らは株式の利回りが50年間ずっと市場の平均を超えている企業を抽出
し、それらに共通した特徴として、ビジョナリーカンパニーという概念を創出し
た。
 ビジョナリーカンパニーの基準に合格した企業は、創業以来の理念をカルト的に
信奉し、理念を実現するために経営戦略を立て、あるいはどんなに利益が得られよ
うと理念に反する経営戦略は放棄する企業だと結論している。



 ビジョナリーカンパニーからの衰退を論じた第3部の評価が高いのは、日本でも
アメリカでも衰退過程にある企業が多く、テーマが切実だからだろう。
 しかし、私はこれから起業する人にこそ、読んで欲しい本だと思う。
 読後の最初の感想は、とにかく起業しないことには何もはじまらないということ
だ。まず起業ありきで、いろいろ試すうちに飛躍の端緒となるビジョンと事業を発
見し、成長を続けてビジョナリーカンパニーになった企業が多いのだ。
 ビジョンと同じくらいに、ビジョンを実現する人が重要だ。事業を決めるより先
に、まず一緒に船に乗る人を決めるべきだというのだ。
 これから起業する人にとっても、いま順風満帆に事業を行っている人にとって
も、会社が衰退してあたふたしている人にとっても、重要なのはビジョンと人だと
いうのは教訓的だ。
 人が大事といっても、カリスマ的な創業者、社外から招いた救世主的な経営者
は、ビジョンより自分が先だから、ビジョナリーカンパニーのリーダーとしてふさ
わしくなく、業績が長続きしない例が多いという。
 この原則を適用するなら、ルノーからカルロス・ゴーン社長を迎えた日産より、
創業社一族から豊田章男社長を出したトヨタのほうがビジョナリーカンパニー的だ
ということになる。人は大事だがカリスマは不要だというのは逆説的に聞こえる
が、この本では、会社の理念に忠誠を誓っている創業者一族や生え抜きの社員のほ
うが、社外から鳴り物入りで招いたカリスマよりもビジョナリーカンパニーのリー
ダーにふさわしいと、ゆるぎない信念(ビジョン)で書かれている。



 コリンズ氏も認めていることだが、個人を犠牲にして組織を重んじる日本企業
は、アメリカ企業よりもビジョナリーカンパニー的である。
 日本の旧家には必ず家訓というものがあった。たとえば住友家には有名な住友家
家訓13ヶ条がある。その第3条には「一時の機に投じ、目前の利に趨(はし)り、
危険の行為あるべからず」とある。
 もしも住友グループの企業が、常にこの家訓に忠実なら、まさに古典的なビジョ
ナリーカンパニーだということになるが、住友商事銅不正取引巨額損失事件を思い
起こしてみると、そうでもないようだ。
 学生時代に出会って以来、私が大好きになった家訓は、初代文部大臣森有礼の森
家家訓である。その何条かに「重要でないことは他人の意見に従え」とある。私に
とっての森有礼は、教育勅語、帝国大学令、君が代、一橋大学創設といった日本の
教育の礎を作った輝かしい功績より、森家家訓を残した人生の達人である。



 それにしても寂しいのは日本人の起業意識が低いことである。
 新会社法が平成18年に施行され、起業の敷居はアメリカ並に下がっている。新会
社法なら、大学生どころか小学生のお年玉で起業できる。
 そのため、起業が静かなブームとなっている。行政書士、司法書士、税理士が起
業ブームをビジネスチャンスととらえて、格安の起業パッケージを売り出してい
る。顧客の囲い込みを狙った設立書類作成料0円、さらには作成料マイナス(キャ
ッシュバック)というサービスすら珍しくない。
 会社法だけではなく、金融商品取引法、資産流動化法など、資金調達面での法制
も、この数年でアメリカ並みに整った。株式店頭公開の市場もできた。しかし、起
業数はやっぱりアメリカの数十分の1のままだ。いくら制度を作っても、実態は何
も変わらない。一番の違いはベンチャーキャピタルで、設立したばかりの企業がな
んの縁故も担保もなく、日本の金融市場や資本市場から資金調達する道はほぼゼロ
だ。未だに高利の街金や闇金が蔓延っている。
 大学も起業ブームにあやかろうとして、百花繚乱の起業講座を開設しているが、
大学の格付けを在学生や卒業生の起業数で競おうとは夢にも思っていない。
 日本の大学の自慢はやっぱり就職率なのであり、それも大企業や中央省庁の就職
率だ。理工学部の教授の評価ですら、研究業績より教え子の就職率で決まる。
 文学部の学生には小説や詩集を卒論と認めているのだから、経済・商・経営学部
の学生には、起業を卒論と認めてはどうだろうかと思う。たったそれだけのこと
で、学生起業家は激増するだろう。



 一昨日会った学生2人にも起業を勧めてみた。
 「起業はシャネルのバッグを買うより安い。グーグルだって大学生のガレージカ
ンパニーからスタートした。もしもまかり間違って会社が大きくなってしまった
ら、学生のときに会社を作ったというのはかっこいい。事業内容なんて後から考え
ればいい。学生のときしか学生起業はできない」
 反応は意外によかった。ビジョナリーカンパニーの受け売りなのだが、何をやる
か(事業)ではなく、何のためにやるか(ビジョン)、誰とやるか(人)が大事
だ。
 政府や大企業に何か期待したところで何も変わらない。しかし1万人の学生が1
万通りのビジョンを持って1万社を起業すれば、何かが必ず変わる。政府もバカじ
ゃなく、そのための制度は整えてくれている。政府がバカなのは自分が作った制度
の利用価値を知らないことだ。
 たとえば新会社法で創設された新しい会社形態に「合同会社」というのがある。
定款認証料5万円が不要で、6万円の登録免許税だけで作れる一番簡単な有限責任
会社だ。さっき小学生のお年玉でもできると言ったのはこれだ。
 政府はミニマム起業のために合同会社制度を作った。ところが並みいる外資系企
業が続々と子会社を合同会社に改組している。アメリカのLLCをそっくりまねた
制度だから、外資には馴染みがある会社形態なのだ。LLCは株式を発行せず、出
資者イコール経営者だから、株主総会みたいな余計な経費がかからないし、M&A
のリスクもない。子会社の日本法人を合同会社に改組すれば、出資者ごとの配当額
を自由に決められる。つまり、このお年玉で作れる簡便で自由な合同会社は、外資
や大企業にもメリットが大きいのだが、政府にとっては想定外のことだった。外資
は続々と合同会社を活用しているのに、日本企業は株式会社という耳慣れた名前に
こだわっている。ところが数人の家族が株を持って同族経営している株式会社は、
実質的には合同会社であり、これほど日本の風土に合っている会社形態はほかにな
いのだ。

 1千億円の企業は一朝一夕には作れないが、1億円の企業を1千社なら一朝一夕
に作れる。日本経済を救う道はもうこれしかないと思う。その1千社の中から1兆
円のビジョナリーカンパニーが1社出れば、十分すぎる成功である。
 いでよ、お年玉起業家!

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渋柿庵主人
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