I-Method

渋柿庵日乗 五一


退路を断つな

2010年9月6日
 「退路を断て」
 これには2つの意味がある。第一の意味は、敵の退路を断てということだ。ユリ
ウス・カサエルにしても、諸葛孔明にしても、織田信長にしても、歴史上の名軍師
の必勝の極意は、敵の退路を断つことだった。
 第二の意味は、自らの退路を断ち、排水の陣で臨むことだ。歴史小説や戦争映画
には、敵の退路を断って圧勝し、あるいは自らの退路を断って逆転するかっこいい
シーンがぜひほしい。
 しかしながら、実際には、敵の退路を断つ作戦は残虐だし、自らの退路を断てば
味方を全滅させる可能性が高い。

 私は産廃Gメンとして、不法投棄軍団と戦っているとき、「退路を断つな」を、
かなり自覚的なモットーにしていた。
 退路を断てば敵は本気で反撃してくる。だから、退路を断たず、むしろ逃げ道を
用意してあげて、そこへ誘導するほうがいい。犯罪を犯したのだから勘弁はしな
い。許可を取り消すこともあるし、逮捕することもある。しかし、死ねとは言わな
い。不法投棄をやった社長にも従業員にも、生きる道を残してあげなければいけな
い。これが退路を断つなということだ。
 自らの退路を断つなどはもってのほかだ。背水の陣は必勝の戦法ではなく、必滅
の戦法だ。自らの逃げ道は常に万全に確保しておかなければいけない。99勝1敗
でも負けは負け、負ければそこで終わりなのだ。
 退路を断つなというのは、別に私の発明でもなければ、オリジナルでもない。
 英語では、Don't burn your bridges behind you. (退却する橋を燃やすな。)
と言うそうだ。



 さて久しぶりに政治の話をしたい。
 いま、民主党の総裁選の話題でTVニュースは毎日もちきりだ。しかし、報道は
偏向していて、メディアがきっと嫌いに違いない小沢首相の誕生は、あからさまに
望まれていないようだ。メディアにとって小沢の勝利は、百害あって一利なしの不
都合な真実なのだ。
 「小沢さんが予算委員会に長い間座っている場面は想像しにくい」という菅首相
の発言が話題になっているが、小沢一郎が体力的に首相の激務に耐えられないとい
うのは、ほんとうのことらしい。
 だから、小沢は民主党総裁になっても首相にはならない総理総裁分離を選択する
んじゃないかという憶測も出ている。
 ただし、「やっぱりそうか」と言われるのがなにより嫌いな天邪鬼な小沢は、意
地でも首相になるんじゃないかという人もいる。
 予算委員会に何時間も座っていられないなら、予算委員会など廃止してしまえば
いい。それくらいのことをやりかねないのが小沢だ。

 長い会議ほど無意味なものはない。何も決める必要がない会議ほど長いのだ。意
思決定のための会議なら30分で十分である。
 実際、予算委員会は、何かを決めるための会議ではない。質問も答弁もあらかじ
め決まっているセレモニーだ。仮にアドリブの質問、アドリブの答弁があったとし
ても、それで結論が変るわけではない。それではなんのための予算委員会か。
 今風にいえば、質問者のブログを更新するためである。質問者は「こういう質問
を国会でしました」と、党に報告し、後援会に報告し、ブログで報告しなければな
らない。そのためのパフォーマンスなのである。質問することに意味があり、前向
きな答弁を期待しているわけでもなければ、国の一大事を決めようとしているわけ
でもないのだから、時間がかかるのはあたりまえだ。



 総裁選に勝利したとき、小沢が体力の限界を超えている首相を本気で引き受ける
つもりでいるなら、彼には珍しく逃げ道のない背水の陣を敷いているということに
なるのかもしれない。
 しかし、小沢は自らの退路を断ってしまうような政治家ではなさそうだ。検察と
の戦いも、周到に逃げ道を用意し、絶対の安全を確保した上での戦いだった。
 メディアは小沢の無様な敗退を期待しているようだが、そうはいかないだろう。
菅首相が想像したとおり、無意味な予算委員会に座っていない小沢首相をぜひ想像
してみたいものである。

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渋柿庵主人