I-Method

渋柿庵日乗 六○


手と目と心

2011年1月22日
 19日(水)、久しぶりに東松山市(埼玉県)の浜屋を訪問し、PARC(NP
O法人アジア太平洋資料センター)から教材ビデオの取材に訪れていた小池さんと
合流し、小林社長のインタビューを収録した。
 小池さんは月曜日からインターンとして働きながらの住み込み取材で、アフリカ
人バイヤーのための寮に2連泊したというから、3日間浜屋に居続けたことにな
る。この取材方法を提案したのは実は私だが、ほんとにやると思わなかったので、
ちょっと驚いた。3日間で経験した作業はラジカセのスイッチの保護、ブラウン管
の保護、ファクシミリのコード巻、ヘッドホンの仕訳などだったそうだが、どんな
仕事にもコツがあり、師匠にもめぐまれ、かなり面白かったらしい。軍手を外すと
手のひらが真っ黒に汚れていたが、気にもしていない様子だ。それを見てすっかり
仕事になじんだみたいだと思った。予想したことだが、同宿のナイジェリア人バイ
ヤーに口説かれたそうだ。

 浜屋は中古家電輸出トップシェアの会社としてとても有名だから、今さら環境の
関係者に紹介するまでもないことだが、知らない人はググってみてほしい。(ホー
ムページはhttp://www.hamaya-corp.co.jp/index.html

 前回訪問して小林さんのお話を聞いたのは5年前くらいになる。その頃は資源価
格が上昇中で、中古家電も高値で輸出されていた。
 しかしリーマンショック後、輸出先のアフリカやアジア諸国がドル不足となり、
価格が下がっても買えない状況になったそうだ。アメリカがドルの供給を再開する
間に、中国製品の市場が広がったため、日本の中古家電の人気がなくなり、市場が
縮小して、価格も下がっているということだった。5年前には数千円していた中古
ブラウン管テレビが、今は数百円に下がったと聞き、ちょっと落差に驚いた。
 小池さんを口説いたナイジェリア人も、AV(音響機器)はもうだめ、これから
は「エンジン、エンジン」と言っていたそうだ。



 インタビューでは浜屋が中古家電輸出を始めたころの武勇伝をたくさん聞いた。
小林さんによると日本の中古家電輸出は、ベトナム難民が、粗大ゴミとして捨てら
れていた家電を拾って、ベトナムのエビ運搬船の船員に売ったことがルーツだとい
う。そのうち、これが儲かることが広まり、中古家電を持ち帰ることがベトナム船
の大事な副業になった。さらには船員に化けた中古家電バイヤーもやってくるよう
になった。小林さんの最初の経験は、ベトナム船の入港情報を無線で入手して埠頭
で待ち、集めておいた中古家電をベトナム人バイヤーに売ることだったそうだ。最
初は一人でアルバイト程度にやっていたが、会社としてやるようになり、販路もベ
トナムから、中国、フィリピン、中東(ドバイ)、アフリカ(ナイジェリア)、南
米(ペルー)など、世界中に広がっていったそうだ。

 中古品の輸入を禁止している国、日本と国交のない国もあるが、浜屋は、さまざ
まな迂回輸出ルートを開拓して、世界の途上国の需要に応じてきた。単純に言えば
密輸ということになる場合もあるが、世界貿易には地域ごと国ごとに複雑な慣習が
ある。郷に入れば郷に従う覚悟がなければ貿易の仕事はできない。迂回輸出がなか
ったら、香港とシンガポールの繁栄はなかっただろうし、この2港がなければ今日
の東南アジア経済の振興もなかっただろう。
 法律は各国の見栄と建前で作られているが、貿易は法律上の外形を保ちながら現
実の需要で動いている。そこにリスクがあるから貿易は儲かる。密輸が発覚して積
荷が没収されたら代金を返還するという一種の密輸保険も成立しているという。た
とえ密輸であっても経済行為である以上、重要なのは信用なのである。
 パキスタン人バイヤーに売った中古家電が、カラチ経由でアフガニスタンに向
い、カンダハールからロバに積まれて山を超え、再びパキスタンに入ると聞いて、
小池さんは感心していた。
 浜屋が成功したのは、買手に喜んでもらえる品質を維持し、セルラー、バイヤ
ー、ユーザーの間にWINWINの関係を築いてきたからだ。小池さんを口説いた
ナイジェリア人もアフリカ訛りの英語で「ハマヤ・グッドクオリティ」と褒めてい
たそうだ。
 誤解のないように言っておきたいが、浜屋は密輸業者ではない。日本の国内法は
完全に守り、関税もきっちり納めている。国際法、輸出先国の法律ももちろん守っ
ている。ただし、貿易の現場には法律を超えたさまざまなルールがあり、想定外の
コストもかかり、リスクも高い。昨日は通関した商品が、今日は没収されるかもし
れないし、シップバック(返送)になるかもしれない。それに尻込みしないで中古
家電輸出市場を開拓してきたパイオニアなのである。でも、こんなことはどこの商
社だって常識的にやっていることである。



 小林さんと話していると気づかされることがある。それは都合の悪いことでも、
前向きに捉えることだ。
 2001年に家電リサイクル法が施行され、4品目の輸出玉(ぎょく)が集めに
くくなったときのことも、ちょうど日本製中古テレビの人気が陰り出していたとき
だったから、品薄になって輸出価格が維持されて結果的に延命できたと前向きにと
らえていた。
 リーマンショックで需要が激減したときも、いずれ来るべきものが早く来ただけ
だからと、頭を切り替えて次の対応を考えたという。
 楽天的といえばそれまでだが、何事も前向きに解釈して愚痴を言わない姿勢と、
取引先とのWINWINの関係を大事にする社風とはつながっているように感じ
た。

 小林さんが中古家電を売るために世界中を回っていた頃のアルバムをめくってい
くと、中古パソコンを真剣な顔で見つめる子供たちの写真がたくさんあった。
 「みんな一生懸命見てるでしょう。よそ見をしてる子は一人もいない。はじめて
のものを見るときの子供の目は世界中どこでも同じですよ」と言う小林んさんの言
葉が印象に残った。

浜屋を取材中の小池菜採さん 寄贈されたパソコンを見つめる
ナイジェリアの子供たち


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渋柿庵主人敬白