I-Method

渋柿庵日乗 一二


文学体験の原点

2010年2月1日
 今日から、産廃小説「ZERO〜産廃Gメン伝説〜」の連載を開始した。

 私の文学体験の原点は、中学生のころ、つまらない授業中のひまつぶしにはじめた回覧メモだった。高校生になると、それが回覧小説に発展した。授業中に書き、休み時間に回覧し、再び次の授業中に書くのである。今ならさしずめ携帯小説、メルマガ小説といったノリである。
 書けば書くほど、文学は奥が深かった。最初は短編だったが、だんだん本格的な長編になり、とうとう自宅で徹夜して書くようになった。通学バスは大事な睡眠時間となり、乗り合わせる他校の女子高生から「居眠り男」とあだ名されるようになった。実際、何度もバス停を乗り過ごして遅刻した。
 理系人間だった私の得意はSFだったが、演劇シナリオ、古文調、マンガ原作(友達が作画)など、スタイルもどんどん多彩になった。友達も書き始めたので競争になった。

 追い討ちをかけたのが、静岡から赴任した新卒の国語教師だった。たちまち片恋におちた文学青年気取りの私は、ラブレター代わりに回覧小説を先生にも回覧するようになった。夏休みには静岡市という情報だけで町名も地番もわからないのに自力で先生の実家を探し当てた。まさに青春ドラマを地で行っていた。
 授業をぜんぜん聞いていなかったし、受験勉強そっちのけで小説を書いていたかったので、成績は上級者ゲレンデ並みの右肩下がりになった。それでも文章だけはうまくなった。友達の宿題のレポートを口述代筆できるまでになったのだ。大学生になってからも、友人の依頼で学部違いの卒論をいくつも代筆した。

 当時は書きたい文章が全部頭にあり、手をオートマチックに動かすだけでいくらでもかけた。文章が思い浮かぶスピードが、書くスピードの2倍あり、頭が書きたい文章でパンクしそうだった。気がついてみれば、いつのまにかどっぷりと文系人間になっていた。

 幸運が重なって産廃コネクションを出版することができたが、これには学生時代の回覧小説以来の経験が生かされていると思う。「高校の授業をさぼって小説を書いていてよかったね」と最初に言ってくれたのは母だった。息子がなにをやっているのか、ちゃんとわかっていて、何も言わなかったのだ。もしかして息子の将来が見えていたのか。とにかく母の深さには脱帽だ。

 小説のWEB上連載は、明朝の友達の笑顔を楽しみに徹夜でがんばった高校時代の回覧小説と似ている。そのためもあって、毎日更新することにした。
 あのときは授業をおろそかにしてしまったが、今回は昼間の職務に影響しないように気をつけたい。

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渋柿庵主人