I-Method

渋柿庵日乗 一七


新しいゲームとパスカルの神

2010年2月26日
 先週に引き続き、木曜日(25日)に、「環境と経営のビジネストレンド研究会」第17期第2回例会に出席した。
 今回は、外務副大臣・参議院議員の福山哲郎氏の「新しいゲームがはじまった〜低炭素社会実現にむけた政策と外交課題〜」という講演だった。
 国会会期中ということもあり、40分遅刻してのスタートとなった。
 15年間、ライフワークとして地球温暖化問題にとりくみ、COP3京都会議以来、すべてのCOPにでかけたと言うだけあって、聞きごたえのある内容だった。
 地球温暖化問題に前向きに取り組んでいる方の論調というのは、実はわりと似通っていて、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)以外の科学的根拠はまず出てこない。とりあえず科学的な議論は決着がついたことにして、後は政治的、経済的に対応していこうという流れになる。
 昨年12月7日から18日のCOP15コペンハーゲン会議に政府代表団のナンバー2として参加されていただけに、会議の模様を臨場感をもって披露してくれたところは喝采だった。
 演題の「新しいゲーム」とは、排出権マネーゲームのことではなく、外務副大臣らしく国際政治のかけひきを意味しているようだった。福山氏は、先進国、BRICsやネクスト11などの新興工業国、ツバルやモルジブ、アフリカ諸国などの気候変動被害国の3極化した国際関係を「ゲーム」と説明されていた。 

 この問題に批判的な立場をとっている方の論調も、実はかなり似通っていて、IPCCの報告書(第4次まであるが方向性としてはどれもだいたい同じ)は科学性に乏しく、信用できないというものである。古気象学者や極気象学者にこの立場をとる人が多いようだ。
 一方は政治的な問題だとし、他方は科学的な問題だとしているのだから、議論がかみ合うはずもない。



 話は変わるが、私は最近、「パスカルの神」がかなり気に入っている。
 パスカルは神の存在を信じる理由について、こう述べたという。「神が存在しないのに、それを信じたとしても、大きな損失はない。しかし神が存在するとして、それを信じなかったとすれば、大きな損失だ。だから、私は神を信じる」
 こんなことをひきあいに出したのは、地球温暖化問題が、まさにパスカルの神だと思うからである。

 地球温暖化問題というゲームでは、IPCCの報告書が科学的に間違っていたとしても、やって損はないプレーが多い。省エネはもちろんだが、脱化石燃料、脱自動車、脱砂漠化、どれも地球温暖化問題とは無関係に、持続可能な新しい文明を実現するためのキーワードだと思う。だから、IPCCの報告書の科学的根拠がたとえあやしかろうと、それを利用できるなら利用して、どんどん対策を進めたらいい。
 しかし、炭素の地下固定や海洋固定といったストレートにCO2を悪玉にした対策となると、もしかしたら存在しなかった神を信じたことになるかもしれない。キャップ&トレードで高額の排出権を買うのも、あるいは後世の歴史家から笑われるチューリップ・バブル(1637年にオランダで起こった史上初のバブル経済)の二の舞になるかもしれない。



 地球温暖化問題を、「新しいゲーム」でもなく、「パスカルの神」でもなく、もっとヒステリックな問題として論じる人もいる。
 エントロピー増大の法則を統計力学的に証明した天才科学者ボルツマンは、宇宙がいつか(おそらく数百億年後)熱力学的に死ぬ運命であることに絶望して自殺したという。まさかIPCCの報告書が地球の死を予言しているとして自殺する人はいないだろう。ボルツマンになるのはあまりにも深刻すぎるから、私はパスカル程度にしておく。

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渋柿庵主人