I-Method

渋柿庵日乗 一四


不信心の研究

2010年2月13日
 私は占いを信じない。信じないだけではなく、なぜ信じないかを理論的に研究する不信心研究家を自任している。30年以上の研究のすべてを話せば、千夜一夜のように長くなるが、最新の研究成果だけを発表したい。
 今回のアイディアは、2月11日、つまりおととい、2年ぶりに会った旧友と池袋でA5級の鉄板焼きステーキを食べながら、不信心研究家の宿敵、血液型性格判断を批判しているときに思いついた。そのときは「占いは当たらないから生き残る」とだけ説明したが、その理由を完全に表現することができなかった。
 ステーキを食べながら思いついた、この最新の不信心理論を、今ついに発表したい。(もしも、すでに誰かが先に発表しているというのなら、ぜひとも連絡してほしい。)



 「占いは当たらないから生き残る」これは明らかに逆説だ。

 たとえば古代には、どの国も占いを信じていただろう。A国とB国が戦争をしていたとしよう。A国が採用している占いと、B国が採用している占いに優劣があり、B国の占いのほうが当たったとしよう。すると、この戦争の勝利者は、まちがいなくB国になるだろう。B国の占いは当たるから生き残り、A国の占いは当たらないから滅びただろう。当然の結果だ。しかし、ここにC国が現れ、C国の占いはもっと当たったとすれば、B国はC国との戦争に負け、B国の占いは滅びただろう。
 つまり、占いが当たるとすれば、占いには淘汰がおこり、大半の占いが滅びてしまうということだ。

 だがもしも、占いが当たらないとすれば、戦争は占いによっては決着せず、A国、B国、C国の占いはどれも生き残る。仮に他の理由によって戦争が決着し、A国とB国が滅びたとしても、それは占いによるものではないから、A国の元民衆はC国民となった後もA国の占いを信じ続け、B国の元民衆もそうするだろう。



 何が言いたいか、もうわかっていただけだろう。今日、さまざまな国にさまざまな占いが生き残ってる。星占いをはじめ、トランプ、タロットカード、筮竹(ぜいちく)、バイオリズム、手相、人相、足相、姓名判断、水晶玉、血液型、数えあげればきりがない。どうしてこれらの無数の占いが生き残ってきたのか。それはずばり、当たらないから、淘汰されなかったのである。

 今日でもなお(信じられないことに)、血液型を社員の採用や人事に反映させている会社がある。かのソニーですらかつて、血液型で社員をグループ化して成果を競わせていたことがあったという。もしも血液型が社員の仕事の適性や社員間の相性と無関係ではないとすれば、血液型を人事や労務管理に採用している会社と、そうしていない会社の間に淘汰が起こるだろう。だが、そのようなことが起こっているようには見えないし、ソニーが血液型人事で成長したようにも思えない。というか、血液型人事は毒にもクスリにもならないから、血液型人事は滅びない。

 私はこれを「占い中立説」と名づける。



 ん、待てよ。これは何かに似ていないか。そう、これは「分子進化中立説」をモデルにしたアイディアだったのである。
 進化論の祖、ダーウィンの自然淘汰説(要不要説)では、役に立つ遺伝子(形質)が選択され、役に立たない遺伝子が廃棄されること、つまり淘汰によって進化が起こるとされる。これをダーウィニズムという。
 これに対して、分子遺伝学の研究から生まれた分子進化中立説では、遺伝子の本体であるDNAの塩基配列の大半は無意味なものであり、毒にもクスリにもならないと考える。この無意味な塩基配列は、無意味であるがゆえに何億年も生き残り、一定の突然変異の確率によって中立的に変化していく。したがって、この中立的な突然変異の回数を数えれば、遺伝子の年齢がわかる。たとえば人間とチンパンジーがいつ種として分岐したかがわかるし、日本人のルーツだってわかる。
 大半の突然変異の結果は無意味だが、まれに無意味だった塩基配列が意味を持つことがある。これが新たな時代を生き抜くために有用であれば、その生物は新たな段階の種としての発展を始める。逆に有害であれば絶滅する。



 今日生き残ってる大半の占いは、毒にもクスリにもならないから生き残り、中立的な進化を続けている無意味な塩基配列と同じだ。
 だが、実は古代に発明された占いの中に、とほうもなく有用であったために、他を圧倒してしまったものがある。それが今日、科学と呼ばれて中立ではない進化を続けているものであるが、もともとは天体の運行や天候の変化を予測する占いの一つであった。
 科学は、それを信じる国の戦争を圧勝に導き、それを信じる国の経済を繁栄させ、しかしときにはそれを信じる国の環境を破壊し、それどころか地球を滅亡の危機におとしいれてしまった。科学は、それが当たるがゆえに、あるいは他の当たらない占いよりも短命になるかもしれない。

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渋柿庵主人