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渋柿庵日乗 六五


災害廃棄物調査速報(その1)千葉県旭市

2011年5月1日
 消防庁の4月28日発表の東日本大震災災害情報第115報では、千葉県の建物被害は
全壊685棟、半壊2,241棟、一部損壊18,936棟である。このうち、津波被害を受けた
旭市の被害状況は、全壊320棟、半壊657棟 一部損壊1,981棟である。
 旭市はかつて不法投棄が多かった銚子市の隣市であり、私が産廃Gメン時代に赴
任していた海匝(かいそう)支庁があるので知人も多く、今回の津波被害は故郷が
被災したようにショックだった。
 そこでゴールデンウィーク企画「災害廃棄物調査速報」を旭市から始めたい。



 災害廃棄物の発生量は、次式で近似的に求められる。

 災害廃棄物発生量 = 被害棟数 × 1棟当たり廃棄物発生量

 これを旭市に適用すると次のようになる。

 災害廃棄物発生量 = 1,000棟 × 100トン = 10万トン

 被害棟数は全半壊棟数を用いるのが一般的である。また、木造家屋1棟当たり建
設系廃棄物発生量は、住宅業界団体の調査によると平均30トンとされているが、コ
ンクリート建造物の倒壊もあるので、経験的には1棟100トンとするのが通例であ
る。
 災害廃棄物には倒壊建物以外にも公共インフラ廃棄物(道路、堤防、上下水道な
ど)、廃自動車・廃漁船、し尿・生活系廃棄物、産業廃棄物(廃食品、廃農産物な
ど)があるが、倒壊家屋由来の建設系廃棄物と比較すると発生量は1〜2桁小さ
い。個別にはどの廃棄物も適正な処分先を探すのが大変だが、災害廃棄物の全体量
としては無視できる。

 以上の推計を基に、GW初日の4月29日に、旭市の津波被害で発生したと推計され
る10万トンの災害廃棄物の行方を探しに出かけた。以下はその速報だが、結果とし
ては海岸と漁港(いずれも管理者は県)に仮置きされていた。まだ処分場に運搬す
る段階ではないようだった。なお、災害廃棄物は一般廃棄物であり、処分は市町村
が国庫補助事業(今回の震災では補助率97.5%、市町村の負担2.5%は起債(借入金)
とし、償還時に地方交付税で補填するため、国庫10割負担)として行う。ただし、
被災者が独自に運搬・処分した場合は補助対象外になると思われる。

※次回は千葉県浦安市を取り上げます。

津波に被災した旭市(旧飯岡町)の海岸沿いの住宅地。推定7メートルの高さの津波が高潮堤防(4メートル)を超えて押し寄せ、約1キロにわたって海岸沿い50〜100メートルの範囲の住宅が倒壊・流出した。全半壊家屋は約1,000棟となった。
この付近のガレキの撤去はほぼ終ったようであるが、全壊家屋の復旧は手付かずだ。
海岸沿いの自転車道(右)と保安林(左)の間に、約1キロメートル、幅20メートルにわたって、津波による倒壊家屋の残骸が仮置きされている。分別・搬出作業は手付かずである。保管量は土砂を除けば1万トン程度である。
今後、金属、ガレキ、土砂を分別した後、可燃物は焼却されるものと思われる。
仮置きされている廃棄物を反対側(北側)から見たところ。大半は木くずであり、家電製品(テレビ、洗濯機、冷蔵庫など)も目立つ。ガレキは別の場所に運ばれているので目立たない。
海岸は国有地であり、管理者は県である。自転車道(県道)の標識は無傷である。
ガレキの撤去作業。最も低い
場所なので、津波は200メ
ートルくらい侵入している。
被害が大きいので、ガレキの
撤去がまだ続いている。
左の住宅(2メートルほど盛
土されている)、奥の学校は
流出していない。
飯岡漁港内のガレキの仮置き場。撤去現場ではガレキとそれ以外(木くず、家財など)の廃棄物を分別し、ガレキは漁港に運んでいる。推定5万トン。現在も搬入中。
廃棄物として処分されず、漁港の造成などに使用される可能性がある。
遠景の緑地は刑部岬。
飯岡漁港裏の光台寺にある「飯岡助五郎墓碑」は被災しなかった。
飯岡助五郎は歌舞伎「天保水滸伝」に登場する実在の侠客で、「座等市」の親分でもある。架空の人物と思われがちな座等市にも実在のモデルがいる。
助五郎の宿敵「笹川繁蔵」の首塚も近くの定慶寺にある。
碑銘が読みにくいが、飯岡助五郎の本名は「石渡助五郎」である。
刑部岬(海抜約50メートル)から飯岡漁港越しに津波に被災した飯岡海岸を望む。
光台寺は右。刑部岬の北側には陰陽師安部清明の妻延命姫が身投げしたという伝説の残る通蓮洞もある。

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渋柿庵主人