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渋柿庵日乗 六四


予定調和神話の崩壊(最終回)

2011年4月13日
 産経新聞が東日本大震災から1か月の特集記事として、4月10日から3日間、朝
刊1面に掲載した「官邸機能せず」は、産経新聞政治部が総力を挙げた興味深い記
事だった。
 上中下の大見出しだけ転載してみるが、読んでない方は産経新聞のネットか図書
館などでぜひ読んでみてほしい。

 産経新聞4月10日〜12日朝刊
 「官邸機能せず」
 (上)首相官邸は開かずの間
    「なにかあったらおまえらのせい」
    高飛車 淡泊 伝わらぬ指示
 (中)気張る首相の影で…
    省庁幹部ら「仙谷邸」詣で
 (下)首相以下「惨敗」を無視
    ポスト「管」絡み合う思惑

 全体として、管政権が末期症状で、未曽有の危機に対して官邸が機能せず、首相
が裸の王様になっているという内容で、新聞記事というよりも週刊誌の特集記事の
ような書きぶりだった。
 (上)では、原発に詳しい首相が、福島第一原発の事故の収束を最優先と考え、
津波被災者の救助のことも忘れて原発事故の対応にばかり夢中になり、ヘリで異例
の視察まで独断強行し、自ら次々と海水注入やベント(圧力弁開放)の指示を出し
たが、法の手続きに従った指示ではなく、感情的で場当たり的な口頭指示だったた
め、官僚にも東電にも無視されてしまった。そして原発事故が拡大を続け、もはや
早期に鎮圧できないことが明らかになってから、やっと被災地への物資の補給など
の深刻な問題に手付かづだったことに気づいたが、もはや閣僚にも官僚にも見放さ
れた官邸の首相執務室は誰も来ない開かずの間になっていたという切迫した状況変
化が、臨場感あふれる筆致で書かれている。
 一面トップを飾った(上)は、新聞史に残るほどの力作で、産経新聞政治部の実
力と情熱に感動すら覚えた。
 (中)では、官房副長官に復帰した仙谷民主党代表代行が、首相に代わって官僚
をコントロールし始めたことが書かれている。(下)では、震災対応の遅れに加え
て統一地方選の惨敗で、ポスト管の動きが本格化していることが書かれている。
(中)と(下)も秀逸な政治記事だ。



 記事全体の印象は、管首相の個人的な無能ぶりを際立たせる内容になっている
が、首相が他の人だったら、状況がどれだけ変わったのだろうか。阪神・淡路大震
災の時も、村山首相の対応の遅れが批判された。その反省もあって、今回の震災で
は政府の対策本部は速やかに立ち上がった。しかし、同時多発的な国のさまざまな
対策本部がどこまで機能したかは、極めてあやしい。
 平時には省庁の権限は完全に独立していて、首相は各省庁の大臣を介してしか、
指導力を発揮できないようになっている。緊急時でも、それは何も変わらず、首相
が自ら各省庁に指揮命令権を発動できる余地はない。
 原発事故に対する首相の口頭指示はことごとく無視されたと産経新聞の記事には
書かれている。首相は原子力災害対策本部の本部長である。いくら口頭であって
も、なぜ本部長の指示が無視されるのか。それは管首相が無能だったからではな
く、そもそも本部長は形式的な存在で、首相個人にはなんの権限もないからであ
る。いくら東工大応用物理学科を卒業した理系首相だといっても、お飾りの本部長
が自分の立場をわきまえずに、専門家気取りで思いつきの指示を乱発したところ
で、それは「殿ご乱心」にすぎないのだから、現場に無視されるどころか、そもそ
も現場に伝えられすらしない。官邸の外まで首相の指示が伝わったかどうかさえ怪
しい。しかし、管首相の指示は間違っていなかった。ただ、首相ともあろうもの
が、国を動かす複雑なシステムの存在を忘れて、ただのバカ殿になってしまった。

 首相に権限がないのなら誰に指揮権があるのか。原子力災害対策特別措置法には
現場の指揮権についての規定がない。それでは実際に災害が起こったらどうするの
か。その時々の力関係で、なし崩し的に誰かが仕切ることになる。実力者がたまた
まいて、その人がたまたま有能で、たまたま判断が迅速適切で、たまたま部下に人
望があって組織が動くてくれたならばうまくいく。官僚の層が厚いので、きっと誰
かがうまく仕切ってくれるに違いないという期待感に頼ったシステムだ。
 だが今回の原発事故では、経済産業省にも文部科学省にも「俺が仕切る」と出し
ゃばる官僚は一人もいなかったようだ。それどころか民主党の政治主導(官僚はで
しゃばるな)を口実に、両省の官僚は雲隠れ状態となった。政府は避難指示、野菜
の出荷・摂取停止、水道水の使用自粛など、周辺事態にはなんとか対応できたが、
肝心の事故現場対応は、現場に籠城となった東電社員に任せきりとなったが、連続
水素爆発による高濃度放射能汚染が2週間も遅れて把握されるというお粗末ぶり
で、やっと自衛隊に消防、警察と連合して決死隊を編成しろと指示を出したが、そ
の時もまだチェルノブイリ事故と同じレベル7という認識ではなかった。



 民主党政権になってから、大臣だけではなく、政務三役(大臣、副大臣、政務
官)の権限が強化され、官僚は国会答弁や記者会見など、メディアに露出する表舞
台から退場させられた。それが政治主導という意味だが、結果として官僚の無気力
を招来し、次官会議廃止で省庁の横串も抜かれ、官邸と官僚の距離をかえって遠ざ
けた感がある。高級官僚の間には、目立つ仕事をしても政務三役に睨まれるだけと
いう窓際意識が蔓延している。
 震災後、記者会見場に立つ首相や官房長官の口からは、「最善を尽くします」、
「情報収集に努めます」、「がんばります」、「必ず復興します」という精神主義
の空疎なコメントばかりが目立った。それは官邸が重要な権限と情報を何も持って
いない砂の楼閣であることを印象付けた。
 各省庁は五月雨式にさまざまな救援策や復興策を打ち出しているが、官邸も閣議
も機能しておらず、各省庁の政務三役も牡蠣のように沈黙しており、政府としての
対策のまとまりが全く感じられない。復興構想会議を発足させると官邸主導で打ち
出したものの、どんな権限と機能があるのかは全くわからず、仙谷官房副長官は首
相の提案を無視して省庁横断的な復興計画と復興庁設置計画を着々と進めている
し、省庁は首相と官房副長官の軋轢をよそに、既定の災害復旧システムをどんどん
動かして既成事実を積み上げている。いろいろな案が飛び交う中、なぜか首相が会
長である内閣府中央防災会議は招集されない。

 このばらばらさは一見救い難いように見えるが、どうせ誰も指揮権を持たないな
ら、現場が上の命令を待たずに勝手に動いてしまう行き当たりばったりのシステム
がせめて機能していることは唯一の救いである。
 省庁はなんの財源の担保もなく、自治体に「あとでいくらでも予算をつけるから
どんどん金を使え」と空手形を切っている。自治体もそれをあてにして、設計など
何もなしに、この現場は1億円、この現場は2億円と、山勘(つかみ)の事業費を
本省や財務省に提出している。6月頃になると災害復旧事業費の現地査定があるに
はあるのだが、どうせメクラ判である。
 自衛隊と警察と消防がばらばらな指揮権の下、現地でうまく混在しているのも奇
跡だ。陸海空自の指揮権だけは統合幕僚本部にまとめられたようだ。ちなみに自衛
隊の総司令官は首相なのに、首相が自衛隊に出動を命令するのではなく要請すると
いうのもおかしい気がする。
 国と都道府県の間には連携がありそうに見えて実はなんの連携もなく、都道府県
と市町村の間にもなんの連携もない。たとえば市町村道の被災状況も復旧状況も都
道府県は知らないし(箇所数くらいは聞いているがあてにはならない)、もちろん
国も知らない。農道の被災は農林水産省所管だから国道交通省は関知しない。一番
大事な被災地の道路網がどうなっているか、誰も全体像がわからないし、わかろう
とする気もない。
 医療機関も福祉施設もばらばらに活動していて、医師や看護師がどこに何人残っ
ているのか、患者や要介護者は何人取り残されているのか、医薬品や酸素や燃料が
どれだけ残っているのか、誰も情報を持たないし、持とうともしない。民間ボラン
ティアの活動もばらばらである。
 災害救助の第一線を担う日赤の医療チームも本部の指示ではなく、現場の判断で
動いている。ただし、日赤がどんな救助活動をどれだけやろうと、人件費を含むす
べての活動費を国が負担することになっている。日赤は寄付金や義捐金で活動して
いるのではなく、何をやっても国に予算的に裏切られないという信頼感で自由自在
に活動している。
 このばらばらな現場主義が結果として大きな矛盾も軋轢もなく、一つにうまくま
とまっていき、いつの間にか見事な復興が成し遂げられている。この奇跡的な予定
調和のシステムは、おそらく日本にしか存在しない。



 江戸は何度も大火に見舞われて焼失したが、その都度自動的な復興システムが立
ち上がり、見事に再生した。大火からの復興需要を予測して、あらかじめ材木問屋
が木場に木材を大量に備蓄していて、大火の翌日から建築が始まったという。炊き
出しももちろん江戸時代からあり、長屋住まいの町人は家も布団も借り物なので、
命さえあれば焼け出されても失うものは何もなく、しばらくの間ただ飯が食えるの
で喜んでいたという。この復興のDNAは関東大震災でも機能した。後藤新平の帝
都復興院が復興をリードしたと言われているが、おそらく江戸時代から培われてき
た民間復興システムが機能したのだろう。戦災からの復興も同じだ。占領軍の復興
資金援助は焼土と化した日本全土をカバーするどころか、東京だけでも足らなかっ
た。戦災復興の主役も民間復興システムだった。

 この未曽有の大災害で、何十万人もの人が肉親と同僚と家と会社を一瞬にして失
い、国からの救援が遅れて被災者が水も食料も燃料もなく寒さと飢えで孤立してい
るというのに、パニックになる人がほとんどいない。世界の人々が驚嘆するこの日
本人の冷静さの秘密は、「いつものように結果的には落ち着くところに落ち着く
さ」という諦念(ニルバーナ)にも似た予定調和への信頼によるものではないかと
思う。
 つまり予定調和神話は崩壊していない。良くも悪しくも予定調和が日本式の復興
のDNAとして何百年も受け継がれてきたのなら、これを利用して指導者なき復興
を成功させるしかない。

 管政権を叩くのはストレス解消にはいいかもしれないが、誰が首相になろうと、
どの政党が政権をとろうと、予定調和なのだから大勢に影響がない。これほどの大
災害だから、現場ごとの小さな英雄はきっと大勢いただろう。一人の英雄が10人
の命を救えたなら、1千人の英雄が1万人の命を救えたことになる。きっとそんな
英雄の美談がそれぞれの地域で長く語り継がれるだろう。しかし、国全体としては
予定調和なのだから、指導者も英雄もいらない。管首相が震災復興の英雄になりそ
こない、他の誰かが首相に代わって後藤新平のような救国の英雄になろうとしてい
るとしても、それは復興の現場とはなんの関係もないことである。
 現場にビルトインされた予定調和システムの自動的な作動によって、国から降っ
てくる予算を使い果たしながら、あたかも国からの支援があってもなくてもなにも
変わらないかのように、現場の知恵で復興は一歩一歩着実に前進していく。その目
覚しい結果に、世界の人々が再び驚嘆することを願うばかりである。

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渋柿庵主人