I-Method

渋柿庵日乗 六三


予定調和神話の崩壊(その3)

2011年3月24日

 福島第一原発の事故に対する鎮圧が遅れていることについて、重ねてコメントし
たい。
 原発事故時の緊急対応は「原子力災害対策特別措置法」に定められている。これ
は東海村の臨界事故を教訓に制定された法律である。今回の原発事故の対応は、す
べてこの法律に基づいて行われている。
 法律による緊急時のスキームがどのようになっているが、原子力安全・保安院、
(財)日本原子力文化振興財団、文部科学省原子力安全課(原子力安全技術センタ
ー)が公表している概念図を掲げてみる。


 まず、記者会見をたびたび開いている原子力安全・保安院が公表している図であ
る。国の主要な役割は、原子力緊急事態宣言の発出、原子力災害対策本部と現地対
策本部の設置、自衛隊の派遣要請の3つであることがわかる。今回の事故では、初
日に宣言が出され、本部が設置された。それなのになぜ、対応が遅れたのだろう
か。
 一見するとトップダウン的なスキーム図になっているように見えるが、各機関の
位置づけは並列的で、命令系統は曖昧である。肝心の事故現場に対応する組織はな
い。よく見ると、左下に「消火活動」とあるだけである。事故現場の鎮圧を第一に
考えたスキームではないようである。


 次に(財)日本原子力文化振興財団が公表している図である。この図は現地対策本
部や原子力災害合同対策協議会が置かれて前線基地となる「オフサイトセンター」
が中心に描かれていてわかりやすい。人気があるのか、この図を模倣したスキーム
図が多い。
 ところが今回の事故ではオフサイトセンターとして建設されていた建物が停電で
使えず、さらに原発から5キロしか離れていなかったために避難区域になった。そ
のため現地対策本部は福島県庁に移された。
 この図では、オンサイト(事故現場)を鎮圧するスキームもやや詳しく図解され
ている。事故現場の災害拡大防止を主体的に担当するのは原子力事業者防災組織
(今回の事故では東京電力)になっていることが明確にわかる。警察は「災害警
備」、消防は「消火、救命活動」を担当する。これは通常の災害と変わらない。本
部の要請で出動する自衛隊の役割は書かれていない。原子力関係機関の専門家が現
場に派遣されて専門的支援をするように書かれているが、今回の事故で公的機関の
専門家が事故現場に派遣されたという報道は聞かれない。


 最後に文部科学省原子力安全課が公表している図である。(財)日本原子力文化振
興財団の図と似ているところが多いが、警察の役割は「交通規制など」、消防の役
割は「避難誘導など」となっていて、前図とは異なる。
 オフサイトセンターでは、国の現地対策本部よりも合同対策協議会が重視されて
いる。しかし、協議会は各機関の総合調整の場であって、指揮監督権を持たない。
現場への指示・指揮監督という矢印はあるが、実際には国の命令ではなく、関係機
関への「要請」という曖昧な形で、すべてのスキームが進められていく。

 このほかにも各研究機関や各電力会社がさまざまなスキーム図を作成している
が、五十歩百歩である。
 作図の基になった原子力災害対策特別措置法の条文を読むと、警察、消防、自衛
隊の役割は何も書かれていない。スキーム図に書かれていた警察と消防の役割は、
図の作成者が任意に書き加えたもののようである。
 派遣要請については、自衛隊のみ国(対策本部)が要請することになっている。
警察と消防は東京電力の要請で出動したと考えられる。東京消防庁や横浜、大阪な
どの消防局も出動しているし、警視庁も出動しているが、どこからの要請されたの
かわからない。法には他自治体の消防や警察の派遣要請について何も書かれていな
い。
 たびたび記者会見を開いている原子力安全・保安院は、どのスキーム図にも出て
こない。法にも出てこない。ここは原発の定期検査をしている機関であり、事故対
策を行う機関ではない。



 事故発生時、東京電力は自力で事故に対応しながら、法に基づく緊急時の通報を
行った。これを受けて国は緊急事態宣言を行い、原子力災害対策本部や現地対策本
部を設置した。
 しかし、本部は官房長官の記者会見を開いた以外に何かしたわけではなく、事故
の対応は東京電力に任せ、報告を受けては発表する広報部にすぎなかった。たいて
いの災害の初動で、国が果たす役割は広報だけであるが、今回もそうだった。
 東電は原発の運転再開ができる状態での原子炉の保全を優先し、海水注入など廃
炉覚悟の決断が遅れた。その結果、炉心溶融の段階へと事故を致命的に悪化させ、
さらには圧力容器内の水素をうまく逃がすことができず、建屋の水素爆発を連鎖的
に起こしてしまった。
 政府(原子力災害対策本部)も、原子力関係機関も、東電本社も、事態がどんど
ん悪化しているのに、現場任せにするばかりで、廃炉覚悟の対策を決断できなかっ
た。米軍からの廃炉支援も断ったと報道されている。緊急事態宣言は空文だったの
である。国が即日立ち上げた対策本部(本部長は首相)は、適切な判断ができない
どころか、判断する気もなく、判断する責務があるとすら考えなかったようであ
る。



 水素爆発が連鎖して、原発の建屋が見る影もなく破壊され、放射能漏れが深刻と
なり、大使館の関西退避や外国人の国外退避が本格化するに及んで、ようやく消
防、警察、自衛隊が本格的な活動を決断したのは事故からほぼ1週間後だった。す
でに事故は行くところまで行ってしまい、被曝覚悟の決死隊という状況になってい
た。事故直後から偵察機を飛ばして状況把握してきたのに、なぜ今になって決死隊
なのと、疑問に思う自衛隊員は多かっただろう。
 しかし、危機が国家的なものになるに及んでもなお、オフサイトセンター(現地
対策本部と合同対策協議会)の主たる機能は、関係機関の「連絡調整」だった。ど
こかが現場の指揮権を統合するという法がないのである。
 そこで、消防、警察、自衛隊は他の機関の放水活動を邪魔しないように輪番で放
水しはじめた。消防が放水中は自衛隊は放水しないし、放水車両や人員の融通もな
い日和見放水である。
 原子力安全・保安院は、東京電力や文部科学省などから原子力災害対策本部に集
まる情報に尾ひれをつけて記者会見を開く役割を担い続けたが、伝聞情報しか持た
ないので、記者会見はほぼ無意味なものだった。なんの意味もない保安院の会見は
今も続いている。



 避難指示、被曝量検査、農産物出荷停止などの周辺の対策について、現地対策本
部はそれなりの機能を果たしている。
 しかし、一番大事な事故現場の対応については、決死隊が編成されるに及んでも
なお現場任せである。現場に残った発電所員と、警察、消防、自衛隊の隊員が、乏
しい知識と情報の中で、指揮権を調整しながら、決死の活動をしているのである。
 放射線のこれ以上の拡散を防ぐため、放水による冷却が必要な措置であることは
確かだが、炉心が再臨界になって爆発しなかったのは、この決死の活動のおかげで
はない。いったん炉心溶融という最悪の状態になったものの、事故から時間が経
ち、海水注入の効果もあり、溶融した炉心も核分裂が暴走せずに自然に冷えてきた
から、決死隊も編成できたのである。
 事態がやっと落ち着てきたように見えるのは、決死隊のおかげというよりは、4
0年前に原発を造った技術者が、炉心に制御棒が入って緊急停止さえすれば、冷却
水が失われてメルトダウンになる最悪の事態になり、打つ手が何もなくなって傍観
するだけになっても、格納容器があらゆる爆風に耐え抜き、再臨界と爆発だけはさ
せずに溶けた炉心を守り続けるように設計してくれていたおかげである。
 原子力発電所安全神話とは実はそういうものだったのであり、神話は40年前か
ら滅びもしないが進歩もせず、この最悪の事態で幽霊のようによみがえったのであ
るが、だれもそれに気づかずにいる。



 現場では警視庁の放水車が原発事故現場に放水するという超法規的な対応もして
いる。必要に迫られれば、現場は法律を度外視することも辞さない。しかし、国家
がこれほどの危機に瀕したというのに、政府は何一つ超法規的な措置を取れず、法
に定められた国の役割である連絡調整だけを続けている。連絡調整というのは、各
機関の権限が横並びで上下がないから必要になるのであり、指揮権の統合とは対極
の仕事である。
 超法規的措置に踏み切れない政府の意気地のなさこそが、日本があらゆる分野で
先進国はもちろん新興国にも遅れをとりはじめた最大の原因になっていると気づく
べきである。
 中国では、「四川大地震のとき、胡錦濤主席は現地に居続けて自ら陣頭指揮を執
ったのに日本の首相は何をやってるのか。こういう緊急事態のときは中国共産党の
方が数倍頼りになる」という世論が盛り上がっているそうだが、そのとおりだと思
う。「小泉首相なら違ったのじゃないか」という世論もあるという。東電から上が
ってくる情報しか持たずに、「最善を尽くします」という精神論を発表するだけ
で、実際には現場の対応は現場任せにしている政府なら、NHKで十分である。
 実は原子力災害だけではなく、日本の災害対策法はみんな同じで、下から上への
報告の流れはがちがちに固まっていて、報告しないと、まだかまだかと矢の催促だ
が、上から下への命令系統は何も決まっておらず、形式的な本部長とかは決まって
いるが実質的な権限は何もない床の間の置物で、実際に誰が指揮を執るかは決まっ
ておらず、その場の力関係でなんとなく決まっていくのである。
 災害対策予算だけは、事後に流すという空手形が切られるが、災害が進行中の現
場に上から命令や情報が降りてくることはほとんどないので、現場が現場の情報と
現場の判断で頑張るのである。それでも意外にうまくいくというのが、予定調和で
ある。
 原発事故の対応は手遅れとなったが、被災地の復興や経済の復興では、指揮権を
発動できる強い政府になってもらいたいものであるが、果たして復興事業を統合す
る臨時官庁の設置や、被災地の土地所有権を一時停止して区画整理法を強制適用す
るような強い特別立法ができるかどうか、政府の力量が試されている。ただし、政
府のイニシアチブに期待する声はあまり聞こえて来ない。国が予算だけばらまいて
くれれば、民間や自治体がバラバラに動いているように見えても、予定調和でそれ
なりに収まるところに収まる(国からはそう見える)というのが、これまでの災害
復興だったからである。
 金は出しても口は出すな。それが今の国と自治体の関係である。現地のことを何
も知らない国から机上で作った画一的なビジョンを押し付けられても迷惑である。
自治体と民間ががっちりと連携し、地域の歴史と風土を踏まえた未来のビジョンを
自ら構築するしかないようである。

先頭のページ 前のページ 次のページ 末尾のページ
渋柿庵主人