I-Method

渋柿庵日乗 二二


アリバイ予算

2010年3月19日
 先週の日曜日、澁谷の桑原デザイン研究所を会場として開催された「第4回サステナブルデザイン国際会議」に参加した。
 午前中は、基調講演者のアレックス・カーン氏から「犬と鬼」という著書のタイトルにもなっているお話しを2時間たっぷり聞いた。聞いたといっても、ほとんどスライド上映会だった。
 公共事業で破壊された日本の風景のスライドは、現在まさに道路部局にいる自分としては、目と耳の痛い話だった。ただし、会場にいた大半の方は公共事業の現場を知らないので、当事者の私とは受け止め方がちょっと違ったかもしれない。

 講演の後半で、カーン氏が取り組んでいる京都町屋の再生事業のスライドを見ながら、積水ハウスの環境推進部長だったM氏(ご承諾を得ていないので匿名とさせていただきます)のことを思い出した。
 M氏は、町屋の再生事業がやりたくて、部長職をなげうって早期退社し、わざわざ大工の専門学校に通って手に職をつけてから、町屋再生の会社を起業された。一級建築士で、ハウスメーカートップ企業の元部長という経歴の生徒を迎えた専門学校の講師陣の狼狽はいかばかりだったことか。
 午後の講演のトップバッターは、アミタの熊野社長だった。アミタは産廃処理のスミエイトをルーツとした会社で、環境ソリューション企業として多角的な展開をしている。社長とはこれまでも何度か面識がある。
 アミタ森林ノ牧場で作っている森林ノ牛乳について、「美味しいのですか」という主催者からの質問に答えて、「冬は乳牛が乾燥した牧草ばかり食べるので油が多いが、春になると新緑の餌を食べるので油は少なくなってダイエットにもいいし、味も濃く感じる」と答えられていたのが、とくに印象に残った。
 アミタの持続可能経済研究所にも訪ねたことがあるが、カーン氏やM氏と同じように京都の町屋を再生したとてもすてきな事務所だった。どうやら、町屋の再生は「記号(シンボル)」として定着しているようだ。



 カーン氏は、日本の官僚はみんな優秀で、一人一人と話をすれば、公共事業が日本の風景を破壊しているという話はわかっているようだと話されていた。
 たしかに、カーン氏が講演で述べられている程度のことを知らない官僚はいないだろうし、たぶん百倍もよく知っている。
 官僚は、何を聞かれても、「知りません」と言えない。官僚の辞書に「不知」の文字はない。
 自然景観保全型公共事業(ビオトープ、近自然工法)について語れない建設官僚は、国にも地方にも1人もいないだろう。もちろん、予算だってちゃんとついている。それなのにどうして何も変らないのか。それは予算の大半が、国会で「やっています」と答弁するための「アリバイ予算」にすぎないからだ。

 あらゆる想定質問にアリバイ予算というパッチを当てようとするために、予算はかぎりなく細かくなっていく。パイの大きさはかわらないので、切り分けられた一つ一つのパイの大きさは豆粒ほどになってしまう。事業名だけみると、国の進路をデザインしてくれるのかと期待の膨らむ予算も、金額を見るとわずかに500万円。これでは専門家を招集し、形だけの審議会を開催し、事務局のシンクタンクが既存資料から報告書をでっちあげておわりだ。そんなパッチワーク報告書は役に立たないから、また翌年、似たような予算がどこかにつく。
 官僚が国会答弁をやらなくていいなら、アリバイ予算もいらなくなるかもしれない。そういう意味では、官僚の国会答弁を禁止した民主党は(わかっているのかどうかわからないが)なかなかいいところをついていた。

 カーン氏は「無電柱化」を環境立国にとって一番必要な政策として力説されていたが、無電柱化は遅々として進まない。今のペースでは100年後にもきっと終わらない。無電柱化の失敗は、日本の道路行政にとって、触れてはいけない恥部のようなもので、この問題に触れるとキャリア官僚はいちように顔をしかめる。このみっともない都市景観は戦後最大の失政の1つに数えてもいい。
 カーン氏が力説していたように、無電柱化は、日本の景観価値(=観光価値)を飛躍的に高め、短期的には莫大な投資が必要になっても、長期的には投資の何倍ものリターンを生みだす。もちろん、官僚にそんなことを説いたところで「知ってる」と答えるだけだろう。ソクラテスだったら、何でも知ってて知らないと言わないソフィストならぬ官僚の知ったかぶりをどう論破するだろうか。
 ソクラテスを出したからアイロニー(皮肉)で言うわけじゃないが、2050年までに二酸化炭素を80%減らすのもいいけれど、そのころまでに電柱だって同じくらい減らしたいものだ。

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渋柿庵主人