I-Method

渋柿庵日乗 二七


幸福な町

2010年4月20日
 前回のブログの続編です。
 「世界に向かって何を自慢していいか、首相ですらわからなくなっている」と書きましたが、どの国のリーダーでも同じですが、政治家に世界に向かって自慢して欲しいのは次の2つのことです。
 「この国の国民が世界のどの国の国民よりも幸福であること」と「その幸福が他の国の国民の犠牲の上に成り立っていないこと」。
 CO2マイナス25%の国際公約は、日本が世界に迷惑をかけない清廉な国になれると言いたかったのでしょう。だけど国民が待望しているのは、世界に迷惑をかけない首相ではなく、日本国民が世界一幸福であると世界に向かって自慢してくれる首相です。

 政治家が考えるべき幸福というのは、住んでいる町を自慢できることだと僕は思っています。そういう町が集まって、幸福な国ができるのだと思います。
 参議院選挙を前にして、どういうわけか地方の首長が新政党を立ち上げることが大流行です。
 幸福な町を作ってくれた首長が、今度は幸福な国を作ってくれるというのなら大賛成です。どういう町を作ってくれた首長なのか、新党に参加した首長の町を見てまわりたいものです。
 
 ちなみに僕もそれなりに全国の自治体を回ってきました。
 国民的な人気があり、テレビにもよく登場する首長が、どんなことをお国の自慢にしているのかなと思って楽しみにしていたら、「国からこれだけ補助事業をとりました」的な自慢が多かったのに、びっくりし、がっかりしたことがよくあります。とくに官僚出身の首長はほとんどそうでした。
 それが地方自治の現実かと思うとさびしくなります。



 地方分権というと、小泉政権の時代には、三位一体の改革という言葉がはやりましたが、まだ覚えていますか。国庫補助負担金の廃止、財源の地方委譲、地方交付税の見直しの3つを意味していたのですが、どれがどれだけ進んだのか曖昧なまま終わってしまいました。
 世界の先進国はほとんどが連邦制ですが、日本が検討しているのは道州制です。違いはいろいろありますが、決定的なのは税金です。連邦制では国税がなくなり、税はすべて地方が徴収して国に上納します。つまりお金の流れが、連邦制と道州制では真逆です。この意味では中央集権的と思われている中国だって、実は連邦制で、省や自治区は財源的に自立しています。だから中国政府は自治区の反乱が独立につながるとして恐れるんです。
 所得税と法人税が国税であるうちは、三位一体の改革なんて眉唾に決まっていたのですが、みんな騙されていました。それが小泉首相のすごいところではあったわけです。(大半の公務員は絶対に何も変らないだろうと悲しい確信で見ていました。)



 今の税制では、財源的に自立していない地方は中央に頭が上がりません。それが明治時代から変わらない日本の行政のシステムです。
 しかし、現在のシステムでも、地方が中央に勝てるものがあります。それは情報です。
 国が施策の根拠としている数字のほとんどは、地方が報告した数字の単純な積み上げです。報告が正しいかどうかのチェックはありません。各省庁が出版している白書も根拠は地方の報告です。実はこの地方の報告、あんまりあてになりません。
 「産廃コネクション」を出版し、不法投棄の現実はこうなっていますよと、私が話し始めたとき、国も学者もみんな黙ってしまいました。地方が持っている情報を直接発表したら、二次情報しか持っていない国は一言の反論もできず、沈黙せざるをえないのです。
 環境だけではなく、医療、福祉、農林水産、観光、土木建設、流通、教育、文化、どんな分野でも、一次情報を持っているのは地方で、国は地方からの二次情報しか持っていません。
 この一次情報の力を結集できれば、地方は国にワンサイドゲームで圧勝できるだろうと僕は思っています。
 一次情報を持っている地方が、その一次情報を使って最適なお金の使い方を考えるのが、幸福な町を作る近道だと思うのですが、現在のシステムでは、国が定めた全国一律の「補助事務提要」に沿わないと、国からお金をもらえません。メニューが同じため、同じようなものしか作れないわけで、隣町にある文化会館がうちの町にないのは恥みたいなことになって、必要もないのにどんどん箱物ができたわけです。
 そういう批判はもう聞き飽きているはずなのに、いまでもまだパイプとコネクションとメディアを駆使し、財務省をうまく騙して、補助金をいっぱいもらってきた首長が優秀な首長だみたいなことになっていて、地方でそういう実績を挙げた首長の何人かが、国政選挙のたびに東京にUターン(国政デビュー)するわけです。



 国が一番困るのは地方が国を介さずに情報を発信しはじめることです。すべての分野で、「国より地方の情報のほうがあてになる。国の情報はしょせん聞きかじりだ」ということが浸透でき、もうだれも国の言うことを信じなくなったら(かなりそれに近い状況になりつつありますが)、きっと地方と国の立場が逆転する革命がおのずから起こるだろうと思います。
 首長新党が、そういう流れの中にあるというのなら、活躍を期待できると思うのですが、どうでしょうか。それとも食べずにいると消えてしまう新しいランチメニューみたいなものなんでしょうか。

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渋柿庵主人