I-Method
アリバイの殿堂 |
2010年4月17日 |
昔、英国病という言葉がはやった。英国病を完治させたのはサッチャー首相の民営化療法だということになっているが、ほんとうはシティの金融業者の底力だったのではないかと、僕は思っている。 日本病の治療に民営化療法を試みた政権が2つあった。中曽根政権と小泉政権だが、どちらも自画自賛は別として、巷間の評判は今ひとつだ。それもそのはずで、英国病と日本病とは病原が違う。 日本病の病原はもちろん、一つではない。いわば症候群である。しかし、主犯はゾーニングの失敗だと僕は思っている。ゾーニングとは都市計画である。 ヨーロッパに旅行すると都市と農村のめりはりに驚かされる。パリでもローマでも、都市を一歩出るといきなりド田舎になる。これがゾーニングだ。ゾーニングをでたらめなものにしてしまったのは、都市計画法と農地法だ。この2つの悪法が、日本病症候群を生み出した元凶だ。つまり、主犯は国土交通省(旧建設省、旧国土庁)と、農林水産省だ。環境省が、たかだか2000億円程度の予算で何をやったところで、ガン細胞が転移するように全国に広がってしまったアンチゾーニングの傷跡をいまさらどうにかできるものではない。(しかも2000億円の予算の半分は合併浄化槽と焼却炉の補助金だし。) 中途半端なトンカチ(開発)は、かえって農村の景観と文化と経済を破壊した。農地の地価が高騰するのと反比例して、食料自給率は低下し、高価格政策で瀕死の農業を支えてきた食管制度も破綻し、農村崩壊はさらに加速している。観光資源がなくなった地方都市は自立の道を絶たれてシャッター商店街と化した。 大都市もゾーニング被災を免れなかった。低層住宅が密集した広大なスプロールの海に、中高層の再開発地区が点在するエリテマトーデス症(白斑症、マイケル・ジャクソンが罹患していた。)みたいなマダラ模様の都市は、世界の笑いものになっている。阪神淡路大震災では5000人を超える犠牲者が出たが、京浜地区が大地震に見舞われたときの被災者の推計は怖くて公表できないほどだ。日本の都市は確かに治安だけはいい。皇居と御苑のおかげで、東京の緑地率は数字上だけは高い。しかし防災性は最低で、あらゆる災害に虚弱だ。 このブログで毎回紹介している「環境と経営ビジネストレンド研究会」の例会が金曜日(16日)にあった。今回は、独立行政法人国立環境研究所の藤野純一氏(地球環境研究センター温暖化対策評価研究室主任研究員)が「低炭素社会に向けた12の方策〜COP15以降の展望と2020年25%の可能性をさぐる〜」というタイトルで講演された。 COP15(気候変動枠組条約第15回締約国会議、コペンハーゲン会議)が開かれる直前に設置された「地球温暖化問題に関する閣僚委員会」に対する政府からの10の依頼事項に対して、この委員会の「副大臣級検討チーム・タスクフォース」が平成21年11月24日に発表した「タスクフォースの中間とりまとめ」についての詳細な説明があった。 中間取りまとめというのだから、最終取りまとめも出るのかというと、たぶんもうそれは出ないのが通例だ。中間なので間違っていてもしょうがないという弁明を先取りしているのである。 さて、この中間とりまとめだが、たった1か月で仕上げたにしては、内容に隙がない。まさにアリバイ行政の真髄を見せられた気がした。 鳩山首相が2020年にCO2排出量マイナス25%を達成すると国際公約してしまったので、COP15で予定されている首脳会議をどう乗り切るか、頭の痛い宿題が官僚に課せられた。 そこで、いつもはばらばらな環境施策をうちだしている省庁が、国際会議で首相の面子を保つという大儀のために一致団結し、手玉(あるいは子飼い)の御用学者のホープを出し合ってドリームチームみたいな委員会を作り、犬猿の仲の環境・経産両省の独法(独立行政法人)と公益法人が総力を挙げて、首相の国際公約が嘘ではないというアリバイを作り上げた。しかもたった1ヶ月でだ。お見事としかいいようがない。アリバイの殿堂に入れてあげたいくらいのできばえだ。 省庁の垣根を越えて日本を代表する御用学者が一堂に集められたさまは、日本版マンハッタン計画みたいだが、10年後の国家のグランドデザインを1か月のやっつけ仕事で作ってしまっていいものだろうか。 だけど、地方官僚のはしくれとして言わせてもらえば、1ヶ月あればなんでもできる。官僚は新任地に赴任した翌日には、業界団体の会合に出席し、まるで10年前からこの仕事を担当していたかのように、一夜漬けで覚えた政策を講義しなければならない。それができなければキャリアじゃない。そんな訓練を積んできた官僚にとって、1か月は十分すぎるお勉強時間だ。 別に国環研の批判をしているわけでもなければ、藤野さんの批判をしているわけでもない。結論ありきの出来レースの下請けに第一線の学者を使うのはもったいない。科学者には政治史ではなく科学史に名を残す仕事をしてもらいたい。 ちなみに今月から始まる行政刷新会議の独法事業仕分けは、「政策の下請けをやらされてる独法は要らない」という姿勢で臨むと聞いている。だけど独法を切ったところで、喜ぶのは受託事業が増える民間シンクタンクだけだろう。というか、やらされてる仕事はどっちもあんまり変わらない。 日本病の話に戻りたい。 日本は統計数値を見れば、どの分野でも優等生だ。環境的にはエネルギー効率がいいのが自慢だ。だけど、高効率にエネルギーをまわして作っている箱物も道路も空港も、ほんとうに必要なのかと疑われるものばかりだ。 プリウスの回生ブレーキの効率がどんなにすばらしくても、自動車、自転車、歩行者が安全に通行できる道路がなければ意味がない。輸入野菜の物流コストを下げるより、国産野菜の生産コストを下げて欲しい。エコ住宅がどんなに快適な住宅かと思ったら、解体や移築のときに部材をリサイクルしやすい住宅だとか。 つまり、世界一高い効率と世界一高いコストでムダなものを作っている国なのだ。エネルギー効率や生産効率がいくら高くても、政策効率が低くてはろくなものができない。だからあんなにGDPが高かったのに豊かさを実感できる街をとうとう作れなかった。 やらなければいけない政策は、最新式のスマートメーターがついた住宅じゃなく、広くて安全で温かくて長持ちする住宅。安価でおいしい国産野菜の自給率を100%にすること。都市は都市らしい、田舎は田舎らしい景観と生活を守れるゾーニング。どれもあたりまえのことなのに実現しない。公営住宅に寝たきり独居の長寿国なんていやだ。 日本病を治癒する特効薬は、たぶん文化と歴史に対するプライドの回復だろうとは思う。かろうじて日本料理は世界一美味しい。日本酒の文化はワインの文化に匹敵する多様性を維持している。それがわずかにまだ残っているプライドだろうと思う。それが失われる日がこないことを祈る。 世界に向かって何を自慢していいか、首相ですらわからなくなっているから、1ヶ月で用意したアリバイしかないマイナス25%なんかで目立とうとする。世界のどの国もいまや日本を脅威だと思っていない。お人よしの足長おじさんとしか思われていない。熱く語れる自慢話がなにもなくなって、即製のアリバイでプライドをとりつくろうことしかできなくなったら、足長おじさんもおしまいだ。 先頭のページ 前のページ 次のページ 末尾のページ |
渋柿庵主人 |