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渋柿庵日乗 三八


参院選直前特集(6) 農業について(その2)

2010年6月17日
 農業についての2回目は、民主党の総選挙マニフェストに書かれていた「農家への直接所得保障」について検討したい。

 この政策は、アメリカやEUで常識化している政策のつまみ食いであり、その意味では子供手当てと根は同じだ。
 諸外国の「直接所得保障」は、農作物の「輸出補助金」が禁止されたことに対する抜け道である。輸出される農作物に補助金を出して価格を下げることはダンピング輸出として国際協定で禁止されているのだが、国内の農家への所得保障によって国内価格を下げた結果として輸出価格も下がるなら、協定違反にはならないという抜け道である。この直接所得保障(=低価格補填金)によって、アメリカもフランスも国内で余剰となった農作物を、国際競争力のある価格で輸出しているのだ。

 日本がこの政策を導入するなら、農作物の価格を下げて生産を増やさないといけない。価格が下がると生産が増える。これは経済原理に矛盾しているように思うかもしれないが、そうではない。日本の野菜は高いから、中国野菜に負け続けており、そのために生産が増えない。価格を下げれば中国野菜に勝てるだけじゃなく、輸出だってできるようになる。価格を下げたことによる損失を補填するのが直接所得保障なのであり、子供手当てのような単なる給付金とは違う。



 これまでの農政は、低価格政策とは真逆の高価格政策だった。食料管理制度で高い米価を支え続け、輸入米や輸入野菜には数百パーセントの高い関税を課して、高コストの国内の稲作や畑作を保護してきた。高価格だから高コストの小規模経営でも成り立っていたのだ。
 だが、食管制度が廃止され、関税率が引き下げられた結果、輸入果物や輸入野菜が押し寄せるようになった。輸入農作物に圧されて食料自給率が下がったのか、食料自給率が下がったから輸入農作物で補ったのか、これは鶏と卵の議論だ。
 コメの関税だけはまだ数百パーセントのままで、WTIの上限関税率100%の数倍である。これを下げれば日本の稲作が壊滅することは目に見えているため、どんなに制裁金を積もうと、この税率だけは死守している。
 他の先進国の農業補助金が農作物の価格を下げることに使われているのに対して、日本の農業補助金は、トンカチと呼ばれる土木事業につぎ込まれてきた。しかも、農家に負担金を課したために、農作物の生産コストをさらに押し上げてしまった。農政は農家を守ろうとして、農業を壊してしまったのである。

 農家への直接所得保障政策とは、これまでの高価格政策の間違いを改め、低価格政策へと方向転換することを目論んだものだった。だから私は民主党がこの改革を成し遂げられるか、大いに注目していた。だが、結果としては、子供手当てと同じ過ちをおかしそうな雲行きである。
 子供手当ては、女性の働く権利と産む権利の両立という一番大事な戦略を欠いているので、キャリアウーマンやDINKSにはほとんどなんの訴求力もないだろう。
 農家への所得保障も、経営規模の拡大という一番大事な戦略を欠けば、価格は下がらず、政策的な効果のないばら撒きに終わってしまうどころか、さらにひどい結果になる可能性だってある。

 直接所得保障の対象を一定規模以上の専業農家に限定すれば、保障が得られない小規模兼業農家は廃業に追い込まれて農地を手放すかもしれない。この政策の隠された狙いはここにある。直接所得保障の蚊帳の外に置かれれば、夢の兼業農家生活もついにジエンドである。
 しかし、廃業した兼業農家の農地の集約ができなければ、休耕地が増えるだけだし、生産も増えず、価格も下がらない。これでは、かえって逆効果で、考えるだにおそろしい亡国政策になってしまいかねない。農協は、組合員が減ってしまう経営規模再編つまり兼業農家つぶしにはもちろん真っ向から反対なので、専業農家だけを対象にする差別的直接所得保障は、農協を敵に回す政策でもある。医師会は寝返ったのに、農協が民主党を支持しないのはそのせいである。



 農業の現状は、医療の現状と似ている。小規模の診療所も無駄な機材ばかり買わされて高コストになり、後継者問題に悩んでいる。
 農業と医療の構造を改革するアイディアも似ている。起死回生の策は「株式会社化」である。
 株式会社化は、大規模化のための資金調達、コストカット、国際化、後継者のいずれの問題にも、突破口になる。いいことづくめのようだが、農業株式会社は農協を必要としないし、医療株式会社は医師会を必要としない。そのため農協も医師会も株式会社化に抵抗し、さまざまな手を打って株式会社化が進まないように妨害している。
 それでも徐々に株式会社化は進展している。株式会社化によって、なし崩し的に業界の構造を変えていこうというのが、農水省にとっても、厚労省にとっても、ひそかなたくらみだ。



 農業経営の株式会社化に一番大きな障害となっているのは、農業を守るために作られたはずの農地法である。これは農地は農業以外に使わせず、農業者以外に買わせないという、強力なゾーニング法だった。
 ところがさまざまな抜け道があり、農業委員会の裁量で農地転用がどんどん認められてきた。さまざまあるザル法のなかでも、横綱クラスのザル法である。
 これに都市計画法というザル法が加わって東西横綱の揃い踏みとなった。モデルとしていたはずの諸外国の都市計画法は「計画なければ開発なし」の原則で作られている。ところが日本の都市計画法は「計画なければなんでもあり」となっている、とんでもないザル法のチャンピオンなのだ。
 この結果、農村のゾーニングがめちゃくちゃになり、一部の農家は土地成金となったが、農地が高騰したため、土地を集約することによる農業経営の再編を難しくしてしまった。結局、先祖代々の農地をそのまま耕し続けていくか、休耕して荒らすか、農地転用がなぜか上手なパチンコ屋にでも売ってしまうかしかないのが、農地なのである。
 ゾーニングがしっかりしているヨーロッパでは、都市を一歩出ると美しい田園風景が広がるが、日本では都市と農村の境界がはっきりせず、中途半端な宅地開発に食い荒らされた無残な農村景色がどこまでも続く。成田空港から東京に向かう途中の千葉県の風景がまさにそれで、これが日本の風景なのかと初来日の外国人はみな驚くという。ただし、極貧の中国の農村の現状を知っている中国人だけは、日本の農家の豊かさをうらやましいと思うらしい。

 この中途半端な農地法が、農業の株式会社化にとっては、たいへん厄介な障害なのである。第一に農地の売買が自由ではないため、大規模な農地の確保ができない。第二に都市近郊農地の価格は宅地並みで、とうてい農地として買っても採算が取れない。第三に農地法のおかげで農地は担保価値がなく銀行から融資が出ない。
 ジャスコが本格的な農業株式会社を作ったり、元ギャル社長藤田さんが農業プロジェクト「ノギャル」を立ち上げたりと、話題には事欠かないが、農地法があるかぎり、株式会社化は進展しない。



 農業の法人化に本気で取り組むなら、個人経営の農家をいったんすべて「みなし農業法人化」してしまうくらいの、農地解放以来の大改革が必要だ。
 農家をすべて農業法人化してしまえば、それを株式会社へと転換、集約していくのは容易だ。相続税がかからないという特典をつければ、高齢化によって相続の時期が迫っている農地の法人資産化がなだれを打って進展するだろう。どっちみち相続税なんて税率が高い割には抜け道が多くて、たいした税じゃない。金持ちほどまともに納税していない税金なのだから、アメリカのように廃止してしまってもなんの問題もない。農地がすべて法人資産になれば農地法の運用も変わってくる。農業が本格的な法人経営になれば後継者問題も解決する。
 農業を法人化し、大規模化し、価格を下げ、国際競争力のある農業へと再編するために、直接所得保障が有効に機能する下地ができていれば、何兆円使ったってムダではないが、今はまだその下地がない。政策の順序としては、法人化が先であるように思う。農家が法人化すれば、農協は役割を終えて普通の業界団体になる。農林中金も普通銀行になるだろう。

 農業とは1割の農家が9割の非農家の食料を生産する産業である。兼業農家に農業を支えてもらうには、農家の9割が兼業農家じゃなく、国民の9割が兼業農業にならないとむりである。それが可能だっていうのなら、それはそれで面白い国になるのかもしれない。
 アメリカやEUの真似ばかりしてもうまくいくとはかぎらない。アメリカでは失敗したセブンイレブンが、日本では親会社のイトーヨーカドーを飲み込むほど大きくなり、本国アメリカにも逆上陸し、日本のコンビニ各社はアジアにも競って進出している。明らかにコンビニはスーパーやパワーマート(巨大スーパー)より高コストで高価格だが、消費者はコンビニを支持している。大規模で低コストならなんでもいいっていうわけじゃなく、日本的なやり方で農業を救う道がきっとあるはずである。いまある農業改革のアイディアは、どれもこれもぱっとしない。日本的な農業革命を起こすスーパーマン(orウーマン)が現れることを、みんな待ち望んでいる。

 今回で、参院選直前特集はひとまず終了する。各党のマニフェストが出揃ったら、その検討もしてみたいと思っている。これまでのテーマ、新しいテーマを問わず、読者のご意見、ご要望があれば、コメントを追加していきたい。
 おしゃれじゃない話題が続いたので、次回はなにかおしゃれな話題を提供したい。

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渋柿庵主人