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渋柿庵日乗 四○


参院選直前特集(7) 教育について

2010年6月19日
 このブログの読者から、教育政策についても語れとエールをもらったので、さっそくお勉強として、民主党のマニフェストをつぶさに見た。
 「未来を担う子どもたちへの政策を最優先にします。チルドレン・ファースト。子育て支援や高等教育も含めた教育政策のさらなる充実で、社会全体で子どもを育てる国をつくりあげます。」と、まず理念が書かれていた。
 具体的な政策としては、
 「大学生、専門学校生などの希望者全員が受けられる奨学金制度を創設します。また、大学の授業料減免制度を拡充し、教育格差を是正します。」
 「少人数学級を推進するとともに、学校現場での柔軟な学級編制、教職員配置を可能にします。」と書かれていた。
 民主党政権は、子供手当てと高校授業料無料化で税金をばらまいたが、教育の制度改革にはほとんど未着手だったので、今回は軽くお茶を濁したという感じの薄味のマニフェストだった。



 せっかくだから自民党のマニフェストも見た。
 「世界をリードする教育立国日本の創造。子供達に世界トップレベルの学力と規範意識、そして日本に誇りが持てる教育再生、一人の落ちこぼれも出さない教育を行います。(日教組、民主党批判の部分を省略)教育再生の流れを止めることなく、人間力を高めるための教育を推進します。」と、かなり優等生的な理念が書かれていた。
 具体的な政策の部分は長文なので、メニューのみピックアップすると、
 「土曜授業の復活、全国学力テストの復活(全員参加型)」
 「新科目「公共」を設置。ボランティア活動や就業体験(インターンシップ)を必修化」
 「給付型奨学金創設」
 「平成の学制大改革 6・3・3・4制の修業年限を再構築」
 「東大・京大等に民間企業型ガバナンスを導入、民営化、スーパー・ユニバーシティ化を図り、5年後までに世界大学ランキング10位以内に3校」
 「大学を9月入学とし、高校卒業後の3か月間は社会体験ボランティア活動期間とする」
 「教員免許更新制度の厳格な運用」
 「スポーツ基本法制定、スポーツ庁、スポーツ担当大臣を新設」と書かれていた。
 こっちが政権党であるかのような、10年後の文科省の白書の目次だと言っても通用する細かいマニフェストだ。具体性では民主党を圧倒している。
 どうやら自民党は世界大学ランキングが、ひいては日本経済の国際競争力を殺ぐものとして気になっていて、大学改革にかかわる項目が多いようだ。就学機会均等(低所得者就学対策)に偏っている民主党に対して、自民党はビジネス志向が強い。あまり大差がない両党のマニフェストだが、教育では差があったようだ。はっきり言って自民党のほうが着眼点は面白い。

 世界大学ランキングは各種あるので、どのランキングのことを言ってるのかわからないが、東大の場合で言うと、2009年で、THE-QSが22位、HEEACTが14位、Webometricsが24位といった感じで、50位以内に東大、京大、阪大が入っているものの、ベストテンは1校もないという結果になっている。
 5年後にベストテン入り3校というのは、かなり野心的な目標である。(というか、国政選挙の公約として、政権奪取の可能性だってある前政権党が書くべきことなのかちょっと疑問ではある。)



 日本の大学がダメだというのは、今にはじまったことではなく、戦前からもうダメだったようである。80代になる私の母は戦前の教育を受けた人だが、「大学は勉強するところじゃないんだよ。試験は毎年同じ問題だから全員100点、教授は教科書を売るために授業をやってるだけなんだよ。大学は金儲けでしかないねえ」が口癖だった。
 これを小学生の頃から聞かされていた私の将来の夢は「とりあえずどの大学でもいいいから大学生になって遊びます。その後は地方公務員になります」だった。授業中に、成績トップの僕からもっとポジティブな夢を期待していた先生が、この答えを聞いて目を白黒させたことがあった。官僚(国家公務員)ではなく地方公務員になる理由は「楽だからです」だった。(まさか不法投棄問題に生命まで賭すことになろうとは思いだにしなかった。)
 どうやら私は小学生の頃の夢をちゃんと実現した、というか将来の自分の緩い姿をすっかり見通している小生意気なガキだったようだ。私は大学生の真似をして、教科書をブックバンドでくくって肩にかけ、小学校に通学していた。当時の学生の間にブックバンドがはやったのは、アメリカのテレビドラマの影響だったようだ。現在の学生が化粧品ポーチの入らないブックバンドを使うことはありえない。



 教育には3要素がある。教師、生徒、カリキュラムである。
 学校以外の教育では、教師選びが重要だ。ゴルフスクールでも、ヨガ教室でも、お料理教室でも、とにかく教師選びが教育のすべてだといっていい。
 ところが、公教育では、生徒は教師を選べない。親が金持ちなら私学を選ぶことはできるが、その場合でも教師までは選べない。
 そこで学校側としては、教師の当たりはずれがないように、教師のアベレージを高める努力をしている。これが高校までの公教育である。
 OECDが15歳を対象に調査している学力ランキング(2006)では、科学的リテラシーが6位(フィンランドが1位)、読解力が15位(韓国が1位)、数学的リテラシーが10位(台湾が1位)だった。この結果は、OECDの独自調査ではなく、各国の調査をまとめたものなので、あまりあてにならないとは言われているが、いちおう日本の公教育の水準が、15歳のときには大学ラインキングよりは上位だということがわかる。これは教師のアベレージが高いからだといっていいと思う。

 ところが、大学生になったとたん、どうやらだめになってしまうようである。教育は教師がすべてだとすると、その原因は学生にではなく、やっぱり教師にあるのだと思う。
 大学は単位選択制だが、同じ科目に複数の教師が登録されているわけじゃないので、学生が教師を選んでいるとは言えない。
 大学ともなれば、優秀な学生の実力は教師をしのぐことだって珍しくはない。学生が教師を選べないのでは、教師と生徒の信頼関係が築けない。とくに文科系の科目では、教師の実力の差が大きく、無能な教師の講義は、ほとんど睡眠時間になってしまう。どんなに無能でも、いちおう教授となれば、大企業の役員クラスに匹敵する年収2000万円くらい(給料以外に研究費など実質的な所得を含む)はあるが、仕事は10分の1もやっていない。このムダに高い給料が大学経営を圧迫している。
 人気教授ともなれば、本を書いたり、テレビのコメンテータをしたり、民間セミナー講師をやったりといった副業で、さらにたくさん稼いでいるが、本業の大学の講義は少ない。アメリカでは大学教師の収入のかなりの部分をタイアップしている企業からのギャランティが占めるそうだが、日本の大学では、教授が企業からお金をもらうのはご法度らしい。



 私が大学改革案を出すとすれば、「教師選択制」の導入である。

 このアイディアを実現するためには、さまざまな制度改革が必要である。
 一つは大学の常勤教員を廃し、人気教師や有能な教師に複数の大学の教師を兼任させ、学生の選択肢を増やすことだ。聴講生制度も充実させ、他学の学生が人気の講義を自由に(もちろん有料で)聴講できるようにする。教師の固定給は引き下げ、学生が集まる教師には割り増しの報酬を支払う。とくに他学の学生の聴講料は半額を還元してもいいと思う。さらに聴講料の半額の半額は聴講生の学籍のある大学にキックバックしてもいい。これで他学への聴講生を奨励できる。転学の敷居を低くし、気に入った教師のいる大学に自由に移れるようにする。兼学(重複学籍)も認める。入ってしまった大学にろくな教師がいなかったということでやる気がなくならないように、学生の学ぶ自由、学ぶ権利を最大限にするのだ。こうなれば大学受験というのは、あまり重要ではなくなる。

 高校にも改革が必要である。大学生が上手に教師を選べないのは、高校まで教師を選んだ経験がないからである。予備校や塾などで、教師選びの重要性は実感している学生が多いと思うが、上手に教師の選択をするには経験不足である。大学生になったとたんに教師を選べといわれて当惑しないように、高校生から教師を選ぶ訓練をしておく必要がある。つまり、高校の授業に「ゼミ制」を導入するのである。
 ゼミは生徒ごとの興味と実力に応じたマンツーマンの指導になるから、そこに進路指導の機能を持たせてもいいと思う。今は偏差値で進学する大学を決めているが、ゼミの先生が生徒の関心に一番あった教師のいる大学を紹介することが理想だ。いっそ高校生のうちにその教師のいる大学の講義を聴講させてもいい。
 はっきり言って今、大学の講義が面白いと思っている学生はほとんどいないと思う。大学生をテーマにしたトレンディドラマがないのは、実際の大学にわくわくするようなドラマが何もないからである。大学生をテーマにしようとすると、バンドとか、劇団とか、トライアスロンとか、学外活動のドラマになってしまう。キャンパスはお昼寝かナンパのシーンにしか使えない。
 学生が自由に自分の関心と実力に応じた教師を選べるシステムへと変えていけば、高い授業料を払っている大学の講義が、もっと面白くなるのではないかと思う。



 あんまり根拠の定かじゃない世界大学ランキングにこだわる必要はないと思うし、大半の学生も関心がないと思う。東大が世界20位から世界8位へとベストテン入りしたところで、手に入るのは官僚出身の政治家に多い東大卒業生の見栄でしかない。
 今の大学は学生がほんとうに大学に求めているものを与えていない。生徒が学校に求めるものは、ヨガ教室でも大学でも同じで、よい教師なのである。教師とは、学校の商品である。少なくともヨガ教室ではそうだが、教授会が役員会になっている大学では、教授は自分を商品ではなく、経営者だと思い違いしているようである。「あんたに商品価値がないから大学がだめになるんだ」と、誰か言ってやってほしい。

 次回も、教育について続ける。

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渋柿庵主人