I-Method
水っぽいカレー |
2010年7月31日 |
硬い話題が2日続いたので、今日は軽い話題にしたい。 最近、残念な経験が続いている。といっても、高々カレーのことである。 千葉県庁の近くにお気に入りのカレー店があって、いつもポーク野菜を頼んでいた。何十回食べたかわからないが、最近、ルーが水っぽくなったと感じた。 カレーはルーが焦げたら鍋ごとだめになってしまう。焦がさないためには水で延ばせばいいが、そうすると水っぽくてまずくなる。お客より鍋を大事にするようになったのかと思って、長年の常連だったのに通うのを止めた。 ところが、同じ経験が続いた。千葉駅から2つめの稲毛駅前のカレー店のルーも水っぽく感じて食べられなかった。 さらについ最近、神保町のたいへん有名なカレー店で、いつも食べているシュリンプマサラカレーを頼んだところ、水っぽくて食べられなかった。残り物のルーを水で延ばしたとしか思えない味で、いつもプリプリのシュリンプもトロトロだった。 水っぽいカレーが三度も続いたので、変ったのは自分の味覚なのかと不安になった。 そういえば、最近、周囲の人が美味しいと食べている料理が、ちっとも美味しくないという経験が増えている。もしや舌癌なのか、それとも脳梗塞なのかと、いろんな病名が思い浮かんだ。 しかし、以前と変らず美味しく食べられる料理は多い。土用丑に食べた宮川本廛のウナギは以前と変らない味だった。 コーヒーやお酒に対する感覚は、むしろ若い頃より今のほうが鋭くなっているように感じる。 若い頃は、酸味が強いコーヒーが流行っていたから、モカやコロンビアを抵抗なく飲んでいたが、今は酸っぱくて飲めない。最近はマンデリンベースのストロングブレンドがもっぱらだ。ストレートと決めず、ミルクもいちおうもらっておいて、えぐいと感じたら入れてみる。 コーヒーチェーンでは、ラテかカプチーノを頼む。スタバではショットを追加したダブルラテにしている。ドトール系にはまず行かない。 高級豆の代名詞になっているブルマンやハワイコナは、特徴がなくてつまらない。 コーヒーに香りが立つかどうかは、豆の保管方法によるみたいだ。自宅では冷凍庫に入れている。焙煎した豆は凍結しない。 お酒は本醸造か純米のほうが酒蔵の実力がわかる。本醸造を美味しく造れない酒屋が、大吟醸を美味しく造れるはずがない。 実は、つい最近までお酒の味がわからなかった。お酒の味のわかる人に、ほんとうにおいしい日本酒の味を教えてもらってから、ワインやビールの趣味まですっかり変った。 それにしても、どうしてカレーだけがまずくなったのだろう。カレー店というのは、同じ味を長年維持するのがそもそも難しい業態なのかもしれない。 もともと私は小麦粉でドロドロにしたルーより、さらさらしているルーが好きだから、水っぽさを感じやすいのかもしれない。 ドロドロというと、荻窪のカレー店を思い出す。焦げる寸前まで煮込んだカレーで、肉はほとんど形がなくなっている。スプーンから落ちていかないくらい水気がなく、ルーには黒いお焦げみたいなものが浮かんでいるし、焦げ臭く感じないこともない。いわば焦げる寸前の寸止めカレーだ。荻窪に住んでいたことがある妻は、ここのカレーが絶品だといって、開店前から行列に並ぶのを厭わないが、私はやっぱりもうほんとは焦げてるんじゃないかと思う。 料理店はプライドが大事だ。ただし、お店のプライドとは「どうだ、うちの料理はうまいだろう」というプライドではない。それはうぬぼれだ。 「どうでしょうか、今回は前回よりも美味しかったでしょうか」こんなふうに美味しいかどうかをお客に決めてもらおうという謙虚な気持ちこそが、ほんとうのプライドじゃないかと思う。 プライドのあるお店は、お客の満足をなにより先に考える。利益は後からついてくる。プライドのない店は、お客よりお店の都合を先に考える。 お客の満足を先に考えているお店が繁盛しているのを見るほど気分がいいことはない。そしてその逆は気分が悪い。 カレーとコーヒーと酒の話で終ってしまったが、仕事のプライドはどんな分野でも同じだという気がする。 とにもかくにも、水で延ばしたカレーを出すのは裏切りである。 先頭のページ 前のページ 次のページ 末尾のページ |
渋柿庵主人 |