I-Method

渋柿庵日乗 四九


自転車の復活

2010年8月26日
 日曜日(23日)、非常にプライベートな実験として、自宅から県庁まで自転車
で行ってみた。距離は約20km、徒歩と電車で35分の通勤時間だが、自転車で
は2時間くらいと予想していた。結果は1時間30分だった。千葉街道と呼ばれる
国道14号をひた走るだけ、ほぼまっすぐの道で、坂もほとんどなく、予想外に早
く着いた。時速10〜20キロの低速で走ってこの程度だから、もしも自転車専用
レーンを高速で走れたら、1時間は楽に切れただろうし、電車通勤と同じ30分台
だって可能かもしれない。道路事情さえよければ、通勤に十分使える距離なのだ。
 こんな実験をしたひとつの目的は、広域災害時に県庁まで自転車でたどりつく心
構えをしておきたかったからだ。4月と9月の年2回、非常参集訓練というものが
あって、私も毎年、最寄の事務所まで自転車で参集するのだが、県庁まで行ったこ
とはなかった。
 使った自転車は、本格的なロードレーサー(ロードバイク)ではないが、T字ハ
ンドルのついたスポーツ車だ。
 ママチャリに典型的な背筋を伸ばした乗り方は、太腿にだけ負担がかかってダイ
エット効果がない(むしろ脚が太くなる)とツーリストの講演会で聞いてから、マ
マチャリではあまり遠乗りしない。でも、街乗りでは前かごがついた安物のママチ
ャリのほうが便利だ。



 自転車で実際に県庁まで走ってみると、あらためて思うことが多かった。
 船橋市内と習志野市内を通過している間は、1メートルほどの歩道のついた旧道
を走る。道路交通法上、自転車は車道の左側を走らなければならないが、これはほ
とんど自殺行為だ。しかし、歩行者はほとんどいないので、危険回避のため歩道を
走ることにした。路面が荒れている上に、宅地出入口の切り下げがあったり、電柱
があったりと、歩道は走りやすくない。平坦な車道を走れれば、スピードは倍以上
出るはずだ。
 ただし、歩道を自転車で走行中に歩行者に衝突したときには、覚悟が必要だ。車
両対歩行者の人身事故になるうえ、通行帯違反なので過失相殺を認めないと裁判所
が新基準を出している。今のところ民事訴訟の賠償命令だが、今後、刑事罰も強化
される可能性がある。
 毎日自転車に乗る人は、自転車保険に入っておいたほうがよさそうである。



 歩行者がいないということは、町並みに魅力がないということだ。10キロくら
い走る中、いくらかお洒落な感じがしたのは、新しいパン屋が一軒だけだった。道
路の反対側だったが、Uターンして寄ってみた。近くのマンション群から、お客が
途切れずやってくる人気店だ。フランスパンを中心にした品揃えで、見た目はおい
しそうだったが、触って見ると皮がふわふわで、焼き立てじゃなさそうだ。それで
も記念に2、3個、ベーシックなものを買ってみた。ケーキも気になったが、自転
車でデコボコの歩道を10キロ走ったらどうなるかわかっていたのでやめた。この
原稿は、そのパンをちぎって食べながら書いている。淡白な味のサンドイッチ向き
のパンだ。



 道路構造令では、歩道(歩行者自転車道)の幅員は、市街地で4メートル、それ
以外で3メートル、最低でも2メートルと決まっている。車道幅員は3〜3.5メ
ートルだから、4メートルは車道より広い。こんなに広い理由は、歩行者2人と自
転車と車椅子が同時に通行するためということになっている。
 しかし、そうではないと思った。デモ行進じゃあるまいし、歩行者2人と自転車
と車椅子が同時に並んで通行する必要なんかない。それは机上で設けたばかげた口
実だ。広い歩道は町並みを成熟させるのだ。歩行者がゆったりした気持ちで立ち止
まり、立ち話ができる空間、買い物やお茶をする間、自転車を停めておける空間、
それが広い歩道の効用だ。つまり、通行のためではなく、止まるためなのだ。
 逆に狭くて危ない歩道、ましてや歩道のない道路では、人々が立ち止まることが
できず、町並みが成熟していかない。



 国道14号は、京葉道路、東関東自動車道の2つの高速道路と交差していた。
 ジャンクション付近の道路は複雑で、自転車や歩行者の通行にはまったく配慮さ
れていなかった。そのため、無理な横断を何度も強いられ、迂回をせざるをえなか
った。しかし、自転車も歩行者もほとんどないので、配慮してくれというほうがむ
りかもしれない。とにかくジャンクションの下を自転車で通過するのはとても面倒
だ。



 千葉市に入ると、突然幅員100メートルの広々とした道路になった。かつての
埋立地の境界にある道路だからだ。中央分離帯がやたらと広く、そこには何十年も
かけて共同溝が埋けられている。共同溝は金食い虫だ。道路下の配管を分厚いコン
クリートで二重梱包するのだから当然だ。でも上が路面ではなく緑地なんだから、
共同溝にする必要はなかったと思う。
 100メートルの道路というのは、自転車や歩行者からすると、道路というより
川であり、交差点は川を渡る橋だ。町が道路で分断され、相互の交流がなくなって
しまう。これは都市計画上はあまり好ましいことではない。
 100メートルもあるのだから歩道も広々しているかと思ったら、そうでもな
い。広かったり狭かったりさまざまで、計画性がない。歩道が広いところでは、自
転車通行帯がブルーにカラーリングされている。これは最近の流行だ。しかし、イ
ンターロッキング(敷石)に彩色しただけで、自転車が走りやすい舗装に交換されて
いるわけではないので、スピードが出ない。しかも、途切れ途切で、1キロとは続
けて走れない。
 交通量が多い道路なので、沿道にはファミレスのチェーンがたくさん出店してい
る。和食系、焼肉系、イタリアン系と、いちおうバラエティがある。しかし、立ち
寄ってみたくなる小さくて個性的なレストランやカフェは見かけなかった。広い駐
車場がないと商売にならないからだろう。



 千葉市内に到着すると、夏祭りのために県庁前の通りは通行止めになっていて、
歩道が露店で埋め尽くされていた。せっかく無電中化されている道路なのに、街路
灯の電源だけがなぜか空中線で引っ張っている。
 千葉県の祭りというと、佐原大祭や茂原七夕が有名だ。千葉市のお祭りは有名で
はないし、商店街の飾りつけなども薄っぺらな感じが否めないが、人口が多いので
人出だけは多い。あえて、その喧騒を潜り抜けて千葉駅まで歩いた。誰も居ない町
を走り抜けてきたので、人垣がなつかしい気がした。
 日本の道路はお行儀が良すぎる。それは道路でわがままができるほどのスペース
がないからでもあるが、とにかく道路に生活観がない。夜になったら歩道に椅子と
テーブルを出して客席にしてしまうカフェくらいいじゃないかと思うが、それはお
祭りの日だけの無礼講のようだ。しかし、そのお行儀の良さが、日本の町並みを貧
相にしているかもしれない。



 私は自転車ツーリストではないので、「自転車が走りやすい道を」と声高に訴え
てはいないが、道路行政に携わっていると、県庁の外でも内でも、日に日に自転車
の話題が増えていることは感じる。
 自転車が増えると、沿道の利用が変わる。車では立ち寄らないところに、自転車
は立ち寄るからだ。自転車が走れる道になることで、町並みに生活観が取り戻され
ていくのはとてもいいことだと思う。そういう期待をこめて自転車の復活を支援し
ていきたいと思っている。

先頭のページ 前のページ 次のページ 末尾のページ
渋柿庵主人